42歳で死産。その後里親を経て養子縁組をした読者が、我が子に伝えたいこと

晩婚化や女性の社会進出により、40代で「親になる」選択をする人が増えている昨今。出産に関するリスクの高さや体力低下に伴う子育ての不安よりも「どう家族をつくるか」という考えが、彼女たちの心を悩ませています。今回は、志賀志穂さんにお話を伺いました。

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志賀志穂さん(47歳・福岡県在住) 精神保健福祉士/「あゆみの会」代表

42歳で死産。
その後、里親を経て養子縁組。
それでも私たちだけが“特別な家族”
ではないと息子には伝えたい

志賀志穂さんは42歳のとき、お腹の子を死産しました。その後2年間は、何も手につかず、憔悴したそうです。このとき夫からの言葉が、志賀さんを突き動かしました。「自分たちが育てたいという夫婦の思いよりも前に、子どもが自分たちを必要としてくれるなら、里親になって一緒に育てよう」と。

志賀さん夫婦は、里親になる研修を受けると同時に、乳児院でのボランティア活動を始めました。「その過程で、里子には様々な境遇があることを知りました。里子の年齢や性別、障がいの有無にかかわらず無条件で受け入れようと夫婦で話し合いました」。

’18年11月。志賀さん夫婦の元に、児童相談所から里親の委託がありました。病院に駆けつけると、わずか1、400gで生まれた赤ちゃんがいました。「懸命に生きようとする赤ちゃんを見て、しっかりと命を守ってくれた生母さんに感謝しかなかったです」。

赤ちゃんは、2年後に特別養子縁組が成立し〝家族”になりました。「里親制度では、里子を生母さんにお返しすることが前提です。子どもの幸せのためにと覚悟していたものの、離れる寂しさも胸に秘めていました。実子として一緒に未来を描ける〝家族”になれたときは、胸がいっぱいでした」。

家族の関係について、志賀さんはこう話します。「私たち家族は、それぞれに血の繫がりのない〝対等な関係”です。パパとママも血は繫がっていなくても家族。息子も同じです。だからこそお互いの個性を尊重し合える素敵な関係なんです」。

志賀さんは、息子さんには自分の抱えた背景だけが〝特別ではない”と知ってもらいたいと考えています。「例えば、虐待を受けた人、障がいのある人、貧困に苦しむ人など、生きづらさを抱えている人はたくさんいます。それを息子には言葉でなく体験をしてほしくて、いろいろなカルチャーのコミュニティに親子で参加しています。多様な価値観の人と触れ合うことで、息子には〝生きる力”を身につけてほしいんです」。

3歳になった息子さんは、言葉がわかるようになり、真実を伝える時期が迫っています。「幼い息子にもわかるように絵本を作り、伝える準備をしています。息子には、パパとママから愛されていること、尊厳をもって必要とされている存在だと伝えたいです」。

現在、志賀さんは、家族の域を越えて活動しています。「虐待や不登校、発達障がいなど、支援が必要な子どものために、里親を増やす活動をしています。さらに生母さんと里親、どちらにも心のケアが足りておらず、お母さんたちへの心のサポートも、私の使命の一つです」。

小さな息子を病院でお世話していたとき。
1歳の誕生日。記念日には、写真をたくさん撮りました。生母さんがいつでも引き取れるように、夫婦が映らない配慮をしていたそう。
父と息子。「夫は息子の良き理解者です。男2人で、内緒話もしているみたいです」。
「元バンドマンの夫。元DJの私。音楽は私たち家族を繋げてくれます」。
血縁によらない家族を繋ぐ「あゆみの会」を主宰し、交流会やセミナーをしています。
〝あゆみ〟とは死産したわが子の名前です。「あゆみの会」は、子どもに大人から〝歩み〟寄っていこうとの思いを込めています。

「血の繋がりがなくても、家族になれます。事実、妻と夫に血の繋がりはなくても家族です。息子も同じ。私たちは家族なんです」(志賀さん)

取材/髙谷麻夕 ※情報は2022年8月号掲載時のものです。

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