【OLからの転職】銀行勤務からファッションプレスになった、栗原さんの場合。

新卒の就活は「こうあるべき」とイメージにとらわれがち。でも実際に社会に出て、いろいろな大人と出会い、自分の将来像が改めて描けるようになったりするものです。
今回は大手銀行から、アパレル、ITを経て、現在フリーランスPRとして活躍する栗原佐知子さん(41歳)のストーリーです。

人との繋がりが、今の仕事に導いてくれた

アソース メレ、ヤヌークなど、人気ブランド約10社のPR業に携わる栗原さん。「就職するなら銀行と決めていました。いずれ専業主婦に、というイメージで。社会人としての基礎は銀行で教えられ、厳しい礼儀作法も今となっては役立っていますが、当時は、時間と数字に追われる業務、張り詰めた毎日で、ストレスを溜めないように同期と30分でもお茶をして帰るのが日課でした。6年勤めた頃に辞めたのですが、明確な目標を掲げていたわけではないんです。美容やファッションに関われたら、という気持ちはありましたが、自分にできる業種が何なのかもわからなかったですし。再就職は好きだった洋服のメーカーへ。店舗でVMD(ショップのディスプレイ)を学びながら販売員としてスタートしました。接客は銀行の窓口で経験していたので笑顔でできましたね。転職先でも上司に恵まれ、のちにフリーランスになってから仕事で再会できたことが嬉しかった。ゴールや志は見えていなかったけど、当時から考えていたことがあります。顔の見える身近な先輩や上司に自分の将来を重ねられるかどうか、会社じゃなく社長や上司、同僚、後輩…その人と一緒に働きたい、と思えることを大切にしたい、と。だから大手からの転職にも抵抗はなかったのかもしれません。アロマスクール通いなど2、3年模索した後、知人から声が掛かってITの会社に再就職。ネットモールの立ち上げで任された仕事は、銀行時代に取得した金融の資格を活かしつつ、大好きなアパレルや美容の営業職でした。フリーランスになったのも人との縁が大きく、知人からの推薦で「さっちゃんならできる」と言ってもらい、PR業を手伝い始めました。学生時代から読者モデルをやらせていただいていたので知らない世界ではなかったのですが、最初は手探りの状態。PRとしての正解がわからず、クライアントさんが満足しているのか、いつも不安でした。でも「形にとらわれず、まずはそのブランドの一番のファンになり、その時代に合ったやり方を、私なりに提案する」その思いでリスタート。ブランドコンサルタントやディレクションをすることもありますが、PRでキャリアを積んできたわけではないからこそ、垣根を越えた意見やアイデアも出せるんだと思います。今年は初めて1カ月の休暇を取り、ようやくフリーランスとしての働き方も楽しめるように」

 

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撮影/田中駿伍(MAETTICO) 取材・文/横山理恵 デザイン/GOOD FLOW