大竹しのぶさん、不安だった50代を豊かにしてくれた出合いとは?

私たちの未来予想図

HERS世代のこれからは、自分のからだの衰えや、親の介護など、避けて通れないことが迫ってきます。
でも不安やマイナス面ばかり気にしても仕方ありません。私たちには今まで積み重ねてきた経験や感覚があるのだから。10年後、20年後も笑顔で穏やかに暮らせていたらいい。

いろいろな世代や立場の方々の意見を聞きながら、未来について前向きに考えてみました。

今回は発売中のHERS2月号「姉たちに聞く、50代からの人生」より、大竹しのぶさんのお話を一部抜粋してご紹介します。

 

 

[女優・歌手]大竹しのぶさん

歳をとっていくことの恐怖や、女性でなくなっていくことの不安・・・・・・。それでも人とのつながりが50代を豊かにしてくれました。

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女性として、人として、〝自由な人〟———そんなふうに私たちの目に映る大竹しのぶさん。

プライベートでは、2度の結婚で2人のお子さんをもうけるものの、最初のご主人とは死別、2度目は離婚へと至りました。大竹さんが演じてきた女性たちと同様に、その人生もドラマティック。

そんな大竹さんも、30代、40代は母としての時間が暮らしの中心だったと言います。

「さんまさんと結婚した30代前半は、息子がまだ3歳で。新しい家庭を作るために、1年半、女優の仕事をお休みしました。娘が生まれてからも、夏休みなどの長期のお休みは、仕事を入れないように調整していましたね。ゴハンを作って、『美味しい』と言われることが幸せだったんです。

娘が小学校に上がった頃、40代はPTAの役員をやっていたこともあって、しょっちゅう学校へ行っていましたね。息子は公立の中学に通っていましたが、先生とそりが合わない時期があって、たびたび学校に呼び出されていました。だから、学校生活が暮らしの中心で、ママ友ともお付き合いが深かったんです。」

 

 

〝音楽というもう一つの「やりたいこと」を見つけた50代

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「子供たちが成長し、手が離れた50代は、歳をとっていくことや女性でなくなることの恐怖、パートナーがいない分、子供が巣立ったら自分一人になってしまう……そんな不安と向き合うことになりました。自分が60歳になるなんてありえないし、絶対ヤダ! そう思っていましたね。キレイでいたいし、遊びたい、最後にちゃんとした恋愛もしてみたい。50代は、そんな焦りをずっとどこかで感じていました。

一方で、女優の他に、もう一つやりたいこと、〝音楽〟に改めて目覚めたのも50代。その頃はラジオで番組を持っていたこともあって、意識的に新しい音楽をキャッチしようと、いろんな年代のいろんなジャンルの音楽を聴き、お話しするようになったんです。

そんな楽しい時間の中で、ミュージシャンの方たちの自由なマインドがすごく素敵だな、と感じて。それで、以前から歌うことは好きだったけれど、歌をちゃんとやってみたい、そう思うようになりました」

~中略~

54歳になる頃、そんな大竹さんのもとに舞い降りたのが、世界的歌姫エディット・ピアフの生涯を戯曲にした舞台『ピアフ』。飾らず今の自分を丸ごとピアフに投影し、歌い演じる大竹さんの姿は大きな反響を呼び、これまでに3回の再演をすることに。

そして、4年前、50代最後の年には舞台『ピアフ』の中の「愛の賛歌」でNHKの「紅白歌合戦」に出場。年の瀬に、その歌声を日本中に届けることになりました。

~つづく~

 

 

おおたけ しのぶ
1957年、東京生まれ。’73年ドラマ『ボクは女学生』でデビュー。’75年映画『青春の門 筑豊編』で初主演。同年、NHK朝の連続テレビ小説『水色の時』でもヒロインに。以降、舞台、映画、ドラマなど幅広く活躍。2003年のモスクワ国際映画祭最優秀女優賞、日本アカデミー賞優秀主演女優賞、読売演劇大賞など数々の賞を受賞。舞台「桜の園」4月4日~Bunkamura シアターコクーンにて上演予定。

 

次回も引き続き大竹しのぶさんのお話をお届けいたします。

 

撮影/須藤敬一 ヘア&メーク/新井克英(e.a.t・・・) スタイリング/山本ちえ 取材・文/河合由樹 構成/川原田朝雄 撮影協力/セルリアンタワー東急ホテル