【東京アートパトロール】菅 木志雄「放たれた景空」

「もの派」ってなに? 

木や石などの自然素材や鉄や紙を並べただけ、のように見える現代アート作品。美術館やギャラリーで向き合った時に「何これ?」「わからん」って戸惑いますよね。

印象派絵画の「うっとり感」やルネッサンス彫刻の「凄技っ!」という圧を感じないし、どうしてこれがアートなの? だからアートはわからない、と。

今週パトロールしてきた、菅 木志雄さんの作品。実はそのパターンです。

でも、少しだけ角度を変えて見ると、新しいアートの側面を感じることができると思うので筆足らずながらご紹介したいと思いました。

菅さんは1960年代末〜70年代にかけて日本で起きた芸術運動のひとつ「もの派」の主要メンバーです。「もの派」とは、素材にほとんど加工(彫刻するとか、描くとか)を加えないで素材をそのまま提示して作品やインスタレーションにする表現活動をする作家たちに対してつけられたネーミング。

 

菅さんご自身もインタビューで

「(いままでは)つまり作家が主体で、扱うものは客体というわけ。どうして作家がものを支配的に扱わなくてはならないのか? 石でも、木でも、それぞれの場所があり、場には個々のリアリティがある。」(「『もの』をどう見るかは、人それぞれの問題だ」Discovor Japan202036日より引用)

と語っています。

感じ方は自由でいい。 

今回展示されている作品も、木片や石などの「もの」を集めて、融和や対峙をさせながら、展示空間や木枠の中に配置されています。

たとえば、これとか。
KS-S-19-25-aのコピー
《通状化》2019
photo by Kenji Takahashi
© Kishio Suga, Courtesy of Tomio Koyama Gallery

 でも、実は私、最初にこの作品を見た時「そろそろ、おでんの季節だなぁ」と、心の中で小さく呟きましたよ。

それなのに。

暫く眺めているうちに「もの」と「もの」との絶妙なバランスや、立体感(写真は正面から撮影しているので平坦に見えますが、実物は素材に様々な厚みがあるのでボリュームを生み出しています)。さらに作品の中の木片から生まれる影を発見できたりして、作品に引きずり込まれるような、ハマっていくような不思議な感覚に見舞われてくるのです。

一方で心が整い、京都の禅寺の庭園を見ているような気分にも。

 KS-S-20-07-aのコピー
《集点化》2020
photo by Kenji Takahashi
© Kishio Suga, Courtesy of Tomio Koyama Gallery

 KS-S-20-03-aのコピー
《景端》2020
photo by Kenji Takahashi
© Kishio Suga, Courtesy of Tomio Koyama Gallery


他の作品も、タイトルを見て作家の意図を想像するのが楽しくなってきたり。

わからないなりにも、作品の持つエネルギーが感じられて、気分がリフレッシュできて楽しめる展覧会でした。

そして、展覧会場を出たら街の街路樹や高層ビルの窓枠が並ぶ様ですら、今までとは違う感覚で見えてくるのでビックリ。

 どの作品も、写真よりもその「場」に行って実物を見るのでは、作品から受けるパワーが格段に違うので、食わず嫌いせずに展覧会に足を運ぶことをおすすめしたいです。自分の中に違った「目」が芽生えるかと思います。

 

DATA

菅 木志雄「放たれた景空」
926 [] 11:00-19:00 日月祝休

 小山登美夫ギャラリー
東京都港区六本木6-5-24 complex665ビル2F

http://tomiokoyamagallery.com