青山祐子さん 東日本大震災に思う「あの日から10年 そしてこれから」

東日本大震災からもうすぐ10年という2月、宮城県と福島県を最大震度6強の強い余震が襲いました。

津波は?原発は?

香港からNHKの地震速報を見守りながら、10年前の記憶が鮮明に呼び起こされます。

当時はNHK「ニュースウォッチ9」のキャスターとして、毎晩9時から、通常1時間の番組を3時間に拡大し、生放送中に何度も地震の揺れを感じながら、次々入ってくる情報を伝え続けました。

放送中「気仙沼上空のヘリコプターから映像が入ったからコメントして」と指示が入る。手元の小さなモニターに見えるのは、暗闇の中、津波に襲われ海水が残る街のあちらこちらから炎が上がっている様子。

翌日には福島第一原発が爆発し、事態はさらに深刻に。

不安をあおり過ぎて人々がパニックを起こさないよう冷静に、テレビの呼びかけで助かる命があるかもしれないと、祈る思いでコメントを続ける。

今思い返しても当時の緊張感がよみがえり手に汗がにじみます。

 

 

あれから10年。

実は私の結婚もまもなく10年を迎えます。

東日本大震災の9日後が挙式予定でしたが、結婚式はキャンセルし、

母が癌で余命僅かだったので、震災報道の合間に入籍だけ済ませたのです。

その後、4人の子どもに恵まれ、生活を香港に移し、ニュースキャスターだった頃には全く想像できなかった人生を歩んでいます。

長男はもうすぐ9歳、末っ子の次女は2月に4歳になり、ずいぶんしっかりしてきました。

4歳の誕生日に子供たちと作りました。

子育ては試行錯誤の連続で思い通りにいかない日々も多く、忙しさに追われるうちに、信じられない速さで時が進んでいます。

10年後、長男は19歳。

大きくなったら何をしたい?

長男は「サッカー、テニス、ラグビープレーヤー」

7歳の長女は「おじいちゃんのようなアーティスト(絵を描く)。自然を守って、恵まれない人を助ける。高校生になったらパパのために歌を歌ってあげる。」

5歳の次男は「ロッククライミングのスーパープロ」岩山や、家の壁をよじ登るのが好き。

4歳の娘は「ドレスを着たアリエル(人魚姫)」

夢は広がって将来が楽しみです。

 

 

長男が生まれた20日後、桜咲く中、母は亡くなりました。

余命宣告を受けても、治療薬が開発されると信じ、

「退院できたらやりたいことがいっぱいある。孫の世話もしたい。」と語っていました。病室で、大好きな茶道や源氏物語を勉強し、本を書き、病院のピアノを弾いていました。

亡くなる1週間前まで、おしゃれをして病院から外出し、

毎週のように家族のホームパーティーに参加し、楽しそうにしていた母の姿が心に残っています。

身体が辛くても最期まで明るい笑顔を見せられたのは、夢があったから。

皆さん、

10年後どんなふうになっていたいですか?

環境が変わって、あきらめなければならないこともあります。でも、

小さくても夢や目標があると、それがモチベーションになって、前を向いて頑張る力が湧いてきます。

そうした一歩一歩を積み重ねていくことで、人生がより豊かになれば素敵だなと思います。

これからの人生が味わい深くなりますように。

 

追伸

香港では1日の新型コロナ感染者が10人前後に落ち着き、

2ヶ月ぶりにスポーツが再開されました。

初夏のような爽やかな快晴に恵まれ、スポーツで汗を流すと気分爽快です。

 

 

「Dream & Hope」(長男が描いた夢と希望)

両手いっぱいに、富士山スキー、親友、好きなもの、好きな食べ物が描かれ、

真ん中のサッカーボールには、テニス、ラグビー、サッカーの選手になりたいという夢が描かれています。