ケンカ、うつ経験・・・見切りをつけた離婚の先に、運命的なスピード再婚が待っていた!

夫婦関係を修復しようとあれこれ努力することは悪いことではありません。でも、結果が出ないのであれば見切りをつけることも大切なことを今月の読者さんが教えてくれます。

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反対するかなと思った子どもたちが
「ママと結婚してください」と
折り紙を渡したんです・・・

◯ 話してくれたのは...国外涼子さん(仮名)

’82年埼玉県出身。大学卒業後メーカーに勤務し、25歳で円満退社。26歳で長男、28歳で次男、34歳で長女を出産。現在妊娠後期。ベビーマッサージのサロンを経て、現在はカメラマンとして家族を撮影する。国仲涼子さん似の愛され美人。

夫:’78年神奈川県出身。大学を卒業後、ピアニストとしてさまざまなグループの演奏をするミュージシャン。日々のささやかな生活を大切にし、料理が趣味。

子供たち3人と私の誕生日には、ピアニストの夫が誕生日ソングを演奏してくれます。子供たちはそれが楽しみで、ピアノの音が聞こえてくるとわくわくしてるんです。来月には次女を出産予定。6人家族になっても続いていけばいいなあと思います。しかし、1度目の結婚をしていた私には想像もつかないこと。本当に苦しい日々でした。

元夫は会社の5歳上の先輩。同じメーカーに勤めていました。彼は真面目で仕事のできる人。周囲からの勧めで交際するようになり、同時に一緒に暮らし始めました。最初はアウトドアが好きで男気のある男性だと思っていました。しかし仕事が多忙を極め、気づけば朝8時に出かけて夜は2時3時の帰宅。家にいてもずっと電話対応、一緒に出かけることもありません。仕事しか頭になく、私に対しても思いやりが全然ない人。この人と結婚しても幸せにはなれない、別れた方がいいと思い始めていたときに、なんと妊娠がわかりました。複雑な気持ちでしたが、当時は1人で育てる選択肢はなかったし、彼に妊娠を告げると「結婚するしかないな」とローテンションな反応。夢描いているプロポーズの絵があったのに早々に打ち砕かれ、彼は結婚式も嫌々、婚約指輪もティファニーが欲しかったのに、時間がないと言われて、彼の母と地方のイオンで買いました。

出産後、夫は子供をそこそこ可愛がりましたが、ますます多忙を極め仕事ばかり。家でも携帯を抱きしめていました。喧嘩以外は会話もなく、家で家族でご飯を食べることもなく、旅行をしたことはないし、出かけるというと息子と2人でショッピングモールに行くくらい。家事などの手伝いはゼロ、家関連は全て私任せでした。そう言うと浮気を疑う人もいましたが、それは
なく、収入は月100万円近くあり、私に全部渡してくれていました。しかしお金もあり、マンションも購入し、子供もいるのに幸せじゃない。専業主婦に向いてないのかなと思い、外に目を向けるべく働こうと思いました。夫の助けは望めないので、家でできることを探して、ベビーマッサージの資格を取り、自宅でスタート。これが盛況で同世代のお母さんが大勢通ってくださり世界が広がったんです。みんな同じような夫婦の悩みを抱え、ストレス解消にもなりました。しかし、その中でも私がいちばん悲惨な状況。私の話を聞いた人が安心して帰って行くパターンで。それでみんなの気が晴れるなら、ネタにすればいい、なんて思っていたんです。

もちろん夫婦の営みもなく、女性としても最悪、26歳で人生を諦めかけていました。せめて息子に兄弟を作ってあげたいと、勇気を出して夫に言うと、そこは理解してくれ、そうしたらすぐに妊娠し、2歳違いで次男を出産しました。しかし、その頃夫の収入がじわじわと減り始めていました。今思うと明らかにブラック企業だったんですよね。それまでも私に家計を任せっぱなしだったので、自分の収入が減ろうが関係ないという態度で。そうなると私が稼ぐしかありません。子育て、家事、仕事、家の管理など全部の負担がかかり、頭の中が忙しいのにぼんやり椅子に座っていたり、おかしな行動をとるようになって、病院でうつ病と告げられました。それを聞いても夫はたった数日優しかっただけ。うつ病になる気持ちがわからないと罵られ、関係はより悪化していきました。

幸せになりたいのにどうしてうまくいかないのか、その原因を考えると、自分自身に目がいくようになり、人生は自分次第という言葉が妙に聞こえてくるんです。それで本を読んだり、人の話を聞いて、いろいろな努力を始めました。夫に対する接し方を変え、ダークに夫が帰宅しても笑顔で迎え楽しい話をしたり。そのときどきは夫も変化するのですが結局長くは続きませんでした。そんなある日、突然夫が会社を辞めて、カフェをやりたいと言い出しました。ついに仕事が辛くなり、見切りをつけたくなったようで。これは変わってくれるチャンスだと思って、賛成しました。まだ希望を持っていたんですね。しかし、辞職しても夫はカフェをするでもなし、何もしなくなったんです。仕事もしなければ家事もしない。当然喧嘩になり、家計が苦しいことを言うと、
「もっと努力しろよ」と言い放たれました。この一言で何もわかってくれていなかった、もういい、自分のせいじゃないと思えました。以降子供を連れてたびたび実家に帰るようになって、1人で冷静に考えると、この人とはこれから先一緒に暮らせないと思いました。

それで夫を呼び出し、「終わりにしたい」と告げました。なんと即座に受け入れ、話し合いに。結果親権は私、慰謝料はなし、マンションの権利は夫、養育費は払うという形で決着したのが1カ月という超スピード離婚。弁護士をつけて闘えばもっともらえたかもしれませんが、お金よりも、1日も早く離れたいという気持ちが強く、離婚した日はせいせいしました。私が33歳、長男7歳、次男5歳になっていました。

夫が会社を辞める直前から、実はベビーマッサージの協会自体にトラブルが多く、サロンを閉めていたんです。しかしお客さんと切れたくなかったので繫がっていられる方法を考えているうちに、当時家族ロケーションサービスがはやり始めていて、家族を撮影するカメラマンに転身することを決意。先輩カメラマンについて、技術を習得後は軌道に乗りだしていました。その頃撮影でライブハウスに行ったとき、初めてピアニストの現夫に出会いました。そのときは、挨拶程度。ところがそのライブハウスで夫のバンドグループの伴奏に合わせて一般人が歌える企画があり、なぜだか、応募したんです。事前に楽譜を渡し、当日歌っていると、途中ピアノソロがあるのですが、それを聞いているうちに直感で「この人と結婚しなきゃ」と閃いたんです。フルネームも結婚してるかも何も知らないのに、何でそんな気持ちになったのかは今もわからないです。いてもたってもいられなくなり、終了後、人生初のアプローチ。私に子供がいることは彼は知っていたので、最初は断られたのですが、数度目のアタックで一緒にご飯に行くことになりました。すると4歳年上で、皮1枚で繫がっている恋人がいるけど結婚はしてないこともわかりました。話してみると自然体でステキな人。もう絶対に人生の伴侶になりたいと思ったんですよね。さらに猛烈アプローチ(笑)。家に遊びに行ったり、子供と一緒に出かけたり。「この花きれいだね」「コーヒー美味しいね」「いい天気だね」「君が来るから桃を買っておいたよ」。そんな会話が嬉しくて、初めて心から幸せと思えました。

これまで流されるまま歩んでいた私の人生でしたが、もっと自分の気持ちに素直になって、好きな人とやりたいことをしたいと心から思いました。子連れ再婚は難しいと聞いていたので、慎重にしていたのですが、なんと子供たちの方から折り紙で私と彼の人形を折り、「ママと結婚してください」と彼に渡したのです。子供たちも笑っている私の姿が嬉しかったんでしょうね。涙がこぼれました。それが結婚するきっかけです。その足でゼクシィを買いに行きウエディングドレスや会場も一緒に決めて、結婚式も挙げました。実は告白してから2週間のスピード婚です。妊娠もわかり、1年後に長女を出産。ピアニストという職業柄、夫は健康管理を完璧にしていて、バランスの取れた料理を作ってくれるし、掃除家事全般が好きな人。本当にありがたいし、幸せです。1度目は努力の連続でしたが、今は何も努力してないんですよね。本当に一緒にいたい人といることができれば自然体でいられるし、努力する必要がなくなるのかな。夫にわがままも言うし、やりたいことしたいこともやる。そんな理想の生き方にようやくたどり着けました。

 

取材/安田真里 イラスト/あずみ虫  ※情報は2020年1月号掲載時のものです。

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