【波乱万丈人生】第4子の壮絶な妊娠から産後までの経験が『健康』を意識するきっかけになった!
【波乱万丈人生】3人とお腹の子のワンオペ育児家事仕事は過酷すぎた!
初めまして!4児ママ美魔女の後藤乃里子です。
私にはもうすぐ12歳になる男の子、10歳になる女の子、6歳の女の子、4歳の男の子の4人の子供がいます。
3人目までは実家の名古屋市で里帰り出産をしました。
4人目の子は上の2人が小学生で学校に通っていたので里帰り出産はできないため泣く泣く千葉県で出産しました。
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ここから、【波乱万丈人生】4人目の子供の妊娠から出産が壮絶すぎたエピソードについてお話ししたいと思います。
待望の4人目を授かった時に名古屋に住んでいる母に「4人目を授かったから手伝ってね!」とお願いをしました。
そしたら返ってきた返事は「今回は悪いけど手伝えない。」でした。
というのも父は難病、母は持病があり名古屋で病院に通っているため千葉県まで長期間滞在することが難しいからでした。この時かなり落ち込みました。
そして、頼めるのは夫のお母さんしかいないと思い、夫に義母にサポートをお願いしてもらえないかと伝えたところ、返ってきた返事は私の母と同じくサポートができないということでした。
夫の母は腰などを痛めていて子供の面倒を見られる状態ではありませんでした。
そして、夫はというととても子煩悩で育メンなんですが…仕事が忙しくてほとんどいません。
つまり私はほぼワンオペ育児!!!!!
当時、8歳、6歳、2歳の3人の子供たちの面倒を見ながら仕事家事をするのは重労働でした。
お腹がカンカンに張ってもほとんど横になることはできず…ご飯を食べる時も子供たちが小さいので立ったり座ったり。
夫は仕事が早いので朝ご飯の時間はいません。夜ご飯の時間に帰ってきてくれたらやった~!!と思えるような帰宅時間。
臨月になってもこの生活は続きました。
お腹が痛い。
横になりたい。
洗濯物を干すのが辛い。
スーパーに行くのが辛い。
ご飯作る時がしんどい。
子供たちをお風呂に入れるのが大変。
保育園の送迎や習い事の送迎が辛い。
子供がまだ小さかったので友達と遊んだ時の送迎も大変でした。
いつも頭の中では「休みたい。横になりたい。お腹が痛いよ。」この言葉が反芻していました。
そしてもう一つ頭の片隅にずっとあった言葉は「私が倒れたら子供たちの面倒を見る人がいないから、私が倒れるわけにはいかない!」ただこの想いだけでこの辛い期間を乗り越えました。
【壮絶を絶する出産】4人目の子供の驚愕な出産エピソード!
4人目の子の出産当日、まだ生まれてこないと思い上の子2人をパン作り体験に連れて行きました。
2人ともすごく楽しそうに「ママ見て!」と連呼しながら思い思いにパンを作っていました。
待っている間椅子に座っているだけでもお腹が苦しくて「帰りたいよ~」と心の叫びが連呼!!
そして、やっと終わり2人を習い事のプールへ連れていき帰宅しました。
すると…
なんだかチョロチョロと違和感。
破水していたんです。
破水は一度もしたことがなかったので急に不安になり産婦人科に電話しました。
すると「今すぐ来て!」と言われたんですが、上の子2人はプールへ。下の子は保育園へ。
そして、夫は電話がつながらない。
誰も助けてくれない!!!
泣きたいけど泣く暇もない。
このまま入院する可能性もあると思い、入院の用意。
洗濯物を取り込む。
すぐに産婦人科に行きたいのにみんなが困らないようにと家のことを少しだけ済ませている自分がいた。
同時進行で子供たちをどうするか考え、ママ友に引き取ってもらえないかお願いをした。
3番目の子はまだ小さくて私から離れたことがなかったので、タクシーを呼んでいる時間も惜しみ破水しているのにもかかわらず自転車に乗って保育園へお迎えに。
そして、保育園の先生に事情を説明して自転車に2人乗りをしてやっと産婦人科へ。
ついた途端、すぐに分娩室へ。
そして言われたひとことは「この子どうするの?」
「ここで電話していいですか?今手配します。」
ということで分娩台の上で夫の会社に電話をし、夫にもうすぐ生まれることを伝えてもらったり、実家などに電話をしたり、そして次女の引き取り先を手配したり…
上の2人を預かってくれることになったママ友が次女を引き取ってくれることになりホッとしたのもつかの間。
看護師さんが手を握ってくれた瞬間、涙が止まらない。
「大丈夫だよ。怖くないよ。」
と出産を怖がっているのだと思い優しい声をかけてくれた。
出産が怖かったのではなかった。
4人目を授かってからずっと一人で頑張らなければ、私が倒れたらいけない。
ただただその思いだけで今日この日まで頑張ってきた。
出産間際まで子供の世話に明け暮れ、張り詰めていた糸がプチっと切れた。
もう頑張らなくていいんだと。
もう泣いていいんだと。
そして、安心して赤ちゃんを産むことができた。
3人目の引き取り先が見つかり、やっと産むことができた4人目の子。
元気な産声を上げて男の子が誕生!!
生まれた瞬間から男の子の野太い声が部屋中に響き渡った。
良かった。元気に生まれた。
ホッとしたのもつかの間。
看護師たちの様子がおかしい。
…息子が息をしていない。
「どうしよう。みんなが赤ちゃんを楽しみにしていたのに。みんなになんて言えばいいの。」
頭の中が真っ白になりパニック!!!
総合病院を選ばなかった自分を呪った。
なぜ、ここに新生児特定集中治療室(NICU)がない。
なぜ、小児科の先生が今ここにいない。
なぜなぜなぜ…
総合病院にすればよかった。
頭でいろんな思いがぐちゃぐちゃになっている間も心臓マッサージが繰り返される。
「お願い息をして!」
「お願いだから!」
すぐに駆け付けることができない。ベットから動けない自分を呪った。
赤ちゃんのところに行きたい。
赤ちゃんのところへ行かせて。
そして、数分後赤ちゃんは奇跡的に息を吹き返した。
一度生死をさまよった息子は、ママのところに戻りたいよ。
パパのところに戻りたいよ。
お兄ちゃん、お姉ちゃんたちに会いたいと思って頑張ってくれたんだろうと思う。
おかえり。あなたの居場所はここだよ。
生まれてきてくれてありがとう。
あなたのお母さんにさせてくれてありがとう。
みんながあなたを待っていたよ。
命をつなぎとめる『新生児特定集中治療室(NICU)』で戦う看護師さんに感謝!
生まれてきてすぐ、生死をさまよった息子。
その後、新生児特定集中治療室(NICU)のある病院に搬送され2週間を過ごし無事退院することができました。
そして、脳に障害が残っていないか1歳半まで検査を続けた。
ありがたいことに4歳になった息子は怪獣のように叫ぶわんぱく坊主に育ってくれた。
これも新生児特定集中治療室(NICU)の看護師さんたちがずっと赤ちゃんの命をつなぎとめるために頑張ってくれたからです。
4人の子供のうち2人が新生児特定集中治療室(NICU)にお世話になりました。
感謝しても感謝しきれません。
子供たちの命をつなぎとめてくださり誠にありがとうございます。
4人目の子の妊娠から産後までの壮絶な経験が私の人生に『健康』を強く意識させた!
突然の出産だったので夫の母が足腰悪いなか駆けつけてくれ、家のことをやってくれた。
保育園の送迎は難しかったけれど、ママ友やママ友のお父さんが保育園の送迎を買って出てくれた。
ずっと甘えることはできないと思い約2週間で首の座っていない新生児を抱きながら保育園の送迎がスタート!
そして、6人家族の生活がスタート!!
この壮絶な経験が私の人生を激変させた!
親が心も体も健康ではないと子供がSOSを出している時に助けてあげることができないと強く思うようになった。
私にとってこの経験が人生で一番過酷で辛かった。
こんなつらい思いは私の代で終わらせよう。
子供たちにこんな思いをさせたくない!
だから私は健康でいようと心に強く誓った!!
その後私の人生は『健康』を強く意識し生き方が変わっていった。
この続きは次回お話ししますね。