私が助産師になったきっかけ

美魔女ファイナリスト【助産師美魔女】堤えりです。 美ST編集部の方に【助産師美魔女】と命名頂きました。助産師として働き始めて15年になります。私が助産師になったきっかけについてお話させてください。 助産師になったきっかけは、幼い頃にドキュメンタリー番組で出産のシーンを見たことでした。子どもながらに生命の誕生する場面を見た時、とても感動し、心惹かれていたことを今でも鮮明に覚えています。 『お母さんって凄いな』『生命の誕生ってなんて素晴らしいだろう』 赤ちゃんが産声を上げた時の感動、何とも言えない思いが込み上げてきました。初めて我が子に触れ、胸に抱き上げた瞬間、母親の表現はとても優しく、美しく、さっきまで陣痛で辛かった表情はひとつも感じさせないくらいの笑顔で、母親が赤ちゃんを見つめている眼差しが眩しく見えました。 いつしか助産師という職業を知り、将来助産師になりたいと心に抱いていました。

助産学生時代:24時間分娩介助についた後

予備校時代の学びが・・・

助産師になりたいと思い大学受験しましたが、すぐには叶いませんでした。 助産師という夢を叶えるために両親の協力のもと予備校に通わせてもらいました。予備校行った1年間は、私にとってとても貴重な経験となりました。 毎日毎日朝から晩まで勉強に励み、中々結果が出ず辛い時期もありましたが、得ることの方が多かった1年でした。同じ目標を持った友人たちと切磋琢磨しました。 『最後まで努力すれば結果はついてくる』『目標を持ち、諦めず進んでいけば必ず努力は実ってくれる』『努力は無駄にならない』 決して教科書では学べない様々なことを学び、生きる上での信念を得た1年間であり、私にとって人生のターニングポイントになった1年です。 私は、この時の貴重な経験が今の私を強くしてくれていると思いますし、何より乗り越えられたのは近くで支えてくれた母親の存在が大きかったと思います。私が辛かった時も笑顔で支えてくれて、励ましてくれて本当に感謝してもしきれないです。振り返ると母親には苦労をかけっぱなしで、心配ばかりさせてきたと改めて感じますね。母親は、いつまでも私の味方だなって、母親の存在の大きさ、偉大さを感じます。 念願であった看護大学に合格し、4年間勉強に励みました。専門分野の勉強は、難しい用語がいっぱいで覚えることは簡単なことではありませんでした。看護師・保健師の国家試験に向けての勉強は、参考書・過去問を片手に間違えては調べ、間違えては調べを繰り返しながら勉強に励んでいたことを思い出します。やはり、毎日の積み重ねの大切さ、努力すれば結果がついてくることを予備校時代に学んだことが強みになったと思います。 助産師短期大学の1年は、看護大学の4年間よりも忙しく何より大変だったことを今でも覚えています。24時間を超える分娩介助もありました。土色になりながらもお母さんに寄り添い、必死で分娩介助につき命の誕生の場に携わることができとても感動しました。出産の素晴らしさ、頑張って頑張って頑張り抜いて赤ちゃんを出産する母親ってすごいなって改めて実感し、今でも分娩介助についてその光景を見て感動しています。 最初にお話しましたが、初めて赤ちゃんの産声聞いたとき・顔を見た瞬間、陣痛に耐え辛かった出来事を忘れるかのように母親の表情が一変するんです。とても穏やかに赤ちゃんを見つめる眼差しを見て私も何とも言えない気持ちになりますね。生まれてきてくれてありがとうと心の中でそう思います。本当に命の誕生で素晴らしいんです。

退院前に記念写真♡

助産師としての経験を

助産師として働き始めて15年間は、私にとって日々貴重な経験ばかりです。私たち助産師は、母親に寄り添い一番近くで励まし支援しています。母親は、長い妊娠期間を色々なマイナートラブルを乗り越え、大切な命をお腹の中で育て、我が子に会える日を心待ちにして命がけで出産に臨んでいます。母親がどういう思いで私たちを産んでくれたか、出産後も母親・父親、沢山の人たちから愛情をたっぷり注がれ今があることを感じて欲しいと思います。沢山の人たちに支えられて今があるということを忘れないで欲しいですし、一人ひとりの命がどれだけ大切なものなのか、だからこそ自分自身を大切にして欲しいと伝えたいです。 最後に幼い頃からの夢である助産師になることができ、今でも助産師の仕事に携わらせて頂いていることは、本当に嬉しく、幸せなことだと思っています。夢を叶えてられたのは、何より両親の協力があってこそだと思います。 そして、私を産んでくれて心から感謝しています。本当にありがとう。

美ST