「浮気は誰でもするよ、我慢したら?」と友人に諭されたけれど、家を飛び出しました・・・

今月はもやもやした気持ちを捨てて離婚をし、52歳で再婚予定の方のお話です。夫に恋愛感情なんてとっくにない、もはやATM……なんて思っているあなた、読んでみてください。

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よく友人に言われるんです「男の人を選ぶのが上手ね」って

40代後半からの離婚物語

◯ 話してくれたのは...林口瑤子さん(仮名)

大阪府生まれ。大学卒業後保険会社に勤務し、26歳で結婚し専業主婦に。翌年長男を出産。42歳のとき家を出て、45歳で離婚成立。52歳で再婚予定。ユーモアたっぷりの会話で楽しませてくれる森口瑤子さん似の美人。

夫 兵庫県生まれ。大学卒業後総務省に入省。イタリア留学を経て、37歳で結婚するも48歳のときに離婚。翌年総務省を退庁し、家業の会社に戻り、代表取締役を務める。ユーモアあふれる楽しい人柄ながら、几帳面で真面目。

天がすべてを許す最上の吉日である天赦日と、何事を始めるのもよい日とされる一粒万倍日が重なった12月8日に入籍予定です。新居にも引っ越しを済ませ、幸せを実感しています。天から降ってきた幸運を52歳にしてキャッチしました。

離婚したのは45歳のとき。全く再婚願望もなく、自由に楽しくやっていたのですが、ふつふつと再婚したい思いが募ったのは今年になってから。急展開に自分でも驚いています。

最初の結婚は26歳のとき。地元関西でOLをしていたとき、友人の紹介で出会った元夫は19歳年上の会社役員。若くして成功し、行動力も包容力もある魅力的な男性で一気に惹かれていきました。ところが独身と言っていたのに付き合い始めてから既婚者だとわかり、「不倫は絶対に嫌。別れます」とはっきり告げると、「すぐ離婚する」と言って本当に離婚してきたんです。

その時は感激しましたが、そういうことをする人はまた繰り返すんですよね。当時はまだ若くて、人を見る目がなかったですね。案の定、結婚後は、最初から浮気が繰り返されました。男としては魅力的だけど、人間としては未熟。仕事もできてお金も稼げるし、自分に不可能はないと信じている人で、とても傲慢。言葉のDVらしいこともちらほらありました。

浮気に関しても、長男の出産予定日の前日にしどろもどろの理由をつけて来なかったり、家族で海外旅行に行ったとき、私はかけていない長距離電話の項目がホテルの領収書にだーっとあって、番号を覚えて電話したら女性が出たり……、そんな疑わしいことは日常茶飯事でした。

問い詰めることで、反省したり、やめてくれる人ではないということが最初からわかっていたので、言うだけ無駄で、息子にもめているところを見られるのも嫌、結局見て見ぬふりを突き通したんです。知人から「女癖と博打癖は一生直らない」と聞き、離婚を考えるようになりました

やがて息子が地方の寮付きの中高一貫校に入学。夫婦2人になって、愛が深まるかもしれないと密かに期待し、一緒にゴルフを始めましたが、根性の悪さから、私が負けていると機嫌いいけど、勝っているとイライラして、ちっとも楽しくない。ご飯を食べに行っても喧嘩ばかり。私達は子供がいたから成り立っていたんだなとつくづく思いました

子供とも離れているし、今がベストの時期だなと思ったのが40歳のときでした。数年間タイミングを見計らい、42歳のとき2人の女友達の協力で、身の回りの洋服やバッグをベンツのワゴンにぎゅうぎゅうに詰め込み、体半分になりながら友達と3人で突然家を出ました

でもそのときの友達を含め、周囲の友達の8割がたに「あほやな。浮気はどの夫でもするよ。経済的に問題ないなら我慢したら?」と言われました。なぜなら元夫は、子供をかわいがり、教育も十分に受けさせてくれたし、私にも贅沢をさせてくれました。女遊びはするけど外泊はしないし、本人は家族を守っているつもり。でもかえって質が悪いでしょ。お金があってもこのまま私自身が錆びていくのは絶対に嫌だと思ったんです。

自宅から1時間ほどのところにマンションを借り、夫には家を出たことを携帯で告げました。すると「俺なしで生きていけると思うのか。別れないぞ」と脅され、その後も別れてくれないんです。それは愛というより、自分のプライド。本当に質の悪い人です。ところがもう離婚は諦めていた3年後、「そろそろ離婚の話を進めようか」と連絡があり、何のことはない自分も再婚したい人ができたようで、結局少しの慰謝料をもらい、離婚が成立しました。

家を出た直後から、「フロムエー」で働き口を探しはじめました。月10万、20万では足りない、30万以上必要と思い、いちばんお給料がよさそうなコールセンターの面接にまず行きました。偶然にも社長さんの面接で、私は一度も働いたことがなく、何のスキルもないのに「お金が必要なんです。明日から来ます。標準語もしゃべれます。PCは入力できます」と調子のいいことを言ったんですよ。「いくら欲しい?」と言われ、「40万」と言うとびっくりされ、結局月30万円のお給料で雇ってもらえたんです。

最初から社員でいきなりチーフ、エクセルも何もわからず、教えてもらいながら一生懸命働き、そのまま7年間勤めました。何とかなるものです。生活が軌道に乗り出すと、本当にすっきり。

ただ息子には「離婚したせいで自分は不幸だ」と言われることもあったし、申し訳ないことをしたと苦しかったですね。もし息子が地方に行ってなかったら、離婚はしてなかったかもしれません。でも後悔はなかった。大変だったけど、自分で身を立てて暮らすことへの幸せややりがいを感じていました。その後、息子は東京の大学に入学し、2年前から社会人に。一緒に住めず、母親らしいことをしてやれなかったことが唯一の後悔でした。

そして今年の1月。FBの婚活「ペアーズ」の存在を知り、気軽な気持ちで登録してみたんです。写真・細かなプロフィール・希望年収、そして「美味しいことと楽しいことを共有できる人に出会えたらうれしい」と自己紹介の投稿をしました。そうしたら夫からいいね、があり、プロフィールを見ると、関西出身・会社経営・バツイチ・51歳…と条件が合いそうで、私もいいねを。そうするとそこからメール交換ができるようになり、最初はメールで会話をしました。とても頭のいい人だなあと思いつつ、頻繁にメールをしているうちに会うことになりました。

彼は東京在住ですが、関西に支社があり、大阪まで来てくれました。会って、お互い感じたことは、打てば響く人。ごく自然体でいられて、楽しかったですね。ただ前妻との子供が14歳と12歳で、奥さんが引き取っているものの、月2、3回週末は家に遊びに来るとのことで、そのことに理解ができる人を彼は望んでいたんです。私は息子に十分なことができず、どこかに家族をやり直したいという気持ちがあったんですね。

だから連れ子達をすんなり受け入れることができたんです。それからは頻繁に関西に来てくれ、2月からお付き合いに発展。でも、高齢の母の存在、息子のことなど壁が多くありました。母は反対していたのですが、彼に会うと気持ちが変わり東京に行くことを理解してくれました。息子も彼に会って挨拶をし、受け入れてくれました。

ひとつひとつの壁を彼が丁寧に崩していってくれました。私も連れ子達と何度も会い、冬瓜の煮物やきんぴらごぼう、みたいなものですが手料理を楽しみにしてくれるようになりました。晴れて8月に婚約。ところが相性占いをしてもらったら最悪の相性と言われたんです。それでほかの占いも見たんですがことごとく悪い。彼に言ったら、「むかつくなー。どうしたらいいか考えればいい」と。

でもそこから盛り上がりもしたんですけどね。私は思ったんです。お互い失敗していてこれが最後という気持ちで、相手の居心地を常に考えて過ごしているんですね。私達なら、問題があってもそのつど解決していけるだろうと。彼と出会うために、これまでいろんなことを乗り越えてきたのだと思えるんです。

ただ、前の結婚では、挑戦せずに、最初から諦めてばかりでした。今は彼から「また説教部屋?」と言われる程、目についたり気になったところは指摘するようになりました。私は夏から東京に住み始め、新しい生活をエンジョイしています。入籍したら、来年の夏に海外でウエディングドレスを着て、結婚式を挙げたいと夢見ています。幸せですよ。

取材/安田真里 イラスト/あずみ虫 ※情報は2017年掲載時のものです。

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