【KID PHENOMENON】iCONZオーディションの舞台裏告白「夏合宿は、毎日倒れるんじゃないかと思いました(笑)」
LDH史上最大規模のオーディション『iCON Z ~Dreams For Children~』第二章から誕生した7人組ダンス&ボーカルグループ「KID PHENOMENON」が初登場!今回のインタビューでは、1年半以上にわたる長いオーディションの舞台裏を語ってもらいました♡
KID PHENOMENON(キッド フェノメノン)
夫松健介(ソレマツケンスケ)、遠藤翼空(エンドウツバサ)、岡尾琥珀(オカオコハク)、川口蒼真(カワグチソウマ)、佐藤峻乃介(サトウシュンノスケ)、山本光汰(ヤマモトコウタ)、鈴木瑠偉(スズキルイ)のメンバーからなる「KID PHENOMENON」。メンバー全員がマイクを持ち、スタイリッシュなパフォーマンスを武器とする7人組ダンス&ボーカルグループ。「PHENOMENON」とは、「現象」という意味でグループ名には「世の中に新しい現象を起こして欲しい」という期待が込められている。公式Twitter
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ーーオーディション“iCONZ”でいちばん嬉しかったことと、大変だったことを教えてください
岡尾くん
嬉しかったのは「武者修行」初日のライブ。ステージに行ったときに2000人くらいの会場いっぱいにお客さんが来てくださって、それがめっちゃ感動して、嬉しかったです。自分たちのためにこんなに足を運んで応援してくれるんだなって。
鈴木くん
第二章の夢者修行は野外ライブもあったのですが、天候にも色々と左右されるなか、どんな状況でも応援に駆けつけてくださるファンの方がいてくれたことが嬉しかったですね。雨のなかでもボードを持って応援してくれて、濡れながら応援してくださって……。そういう姿を見て、心が温かくなりましたし、嬉しいの連続でした。しんどかったことよりも楽しいことが多かったかもしれません。
川口くん
大変だったことをあげるなら、第一章のiCONZの合宿で、グループで10日間合宿。初めての長期的な合宿で、それがすごく過酷でしたね。
遠藤くん
武道館に向けてのやつだよね。最終日に成果発表があるんですけど、まだ集まりたてのグループなので、ひとつパフォーマンスを作り上げるというのは苦労しました。
佐藤くん
個人的に印象に残っているのは、第一章のオーディションで初めてラップに挑戦したこと。最初は感覚が掴めなさすぎて、自分の中で難点ばっかりだったんですけど、第二章で白浜合宿の後に成果発表があって、ラップのランキングのトップ5に入ることができて、嬉しかったです!成長できたことを実感しました。
夫松くん
夏合宿は、毎日倒れるんじゃないかと思いました(笑)。朝から走って、いっぱいレッスンを受けて、休憩時間もその課題を突き詰めるために、自主練習をしていました。だから、ご飯の時間が本当に至福のときでしたね。合宿場で出来立てのご飯をいただくんですけど、それがめっちゃ美味しくて。みんな山盛りでカレーライスとか八宝菜とか食べてましたね!
山本くん
第一章で最初に組んだグループ「ZFACTION」という7人組のグループがあったんですけど、第一章で脱落しちゃって。辛かったですね。ただ、「BATTLE OF TOKYO(BOT)」というイベントで限定復活させていただいたのがとても思い出深いです。パフォーマンスできたということもそうですが、お客さんに喜んでいただけたことが嬉しかったです。KID PHENOMENONとして、もっと上にいかないといけないなと気持ちを新たにしました。
ーーオーディション期間中で一緒にいたメンバーは誰ですか?
岡尾くん
一章のころは碧(THE JET BOY BANGERZ中村碧)かなと思います。
遠藤くん
僕も碧くんと一緒にいたかもしれません。とくに夏合宿は一緒にいる時間が多かったです。KID PHENOMENONができてからは、やっぱりメンバーと一緒にいることが圧倒的に多いですが。
川口くん
(佐藤)峻乃介とは第一章からずっと一緒にいました。初めましてのときがもう隣でしたから。体力テストでも腕立て伏せの回数を測ってもらったり。僕が一番印象に残っているのは第一章のときに、峻乃介がリーダーだったときのことです。
佐藤くん
そのときのチームが8人で年齢真ん中だったんですよ。年上メンバーも多かったから、まとめるのが難しくて、いっぱいいっぱいになってしまいまして。それで、(川口)蒼真に対してちょっとキレたっていうことがありました。蒼真がずっと隣にいたからこそ、気になるところがいっぱいあったのかも(笑)。
夫松くん
僕は圧倒的に(山本)光汰かなって思います。大阪で同じスクールに通っていたこともあり、大阪で練習するときはほとんど光汰と一緒に練習していました。東京と大阪の行き帰りの新幹線もずっと一緒で。第二章になってからはグループも一緒で、ホテルの部屋もほぼ一緒。本当に喋らなくても全然平気なくらいの仲になりました(笑)。
山本くん
たしかに(夫松)健介と一緒の時間が多かったですね。パフォーマンスを作るときは僕が先陣を切って構成とか振り付けは作って、相談するときは常に健介が隣にいました。ディスカッションが取れたし、すごく助かりました。
鈴木くん
僕は宮城県出身なので、東京に来たときだけがメンバーといられる時間でした。その時間が楽しみで、だからみんなと均等に同じくらい一緒にいたと思うんですよ。だから誰か一人と一緒にいたという感じではなかったかもしれませんね。
ーーオーディション期間中に印象に残った先生の言葉を教えてください。
夫松くん
第一章のときに「CROONERZ」というグループに所属していたのですが、CROONERZのメンバーがほとんどダンス初心者だったんですよ。武道館でパフォーマンスするとなったときに、「努力してきた想いとか気持ちをお客さんに届けるのが人を感動させる」という言葉をダンスのMASAYA先生にいただいて、取り組み方が変わりました。これはKID PHENOMENONの活動でも大事にしている言葉です。
岡尾くん
一章の頃にめちゃくちゃ怒られたことがあって、「昨日と何も変わってないよ」って言われたことがありました。「同じこと繰り返して、何も変わってない。何のためにやってるの?」って。僕らそのとき、武道館公演前だったんですけど、「武道館に立ちたい人はいっぱいいて、先輩たちと踊りたい人たちはいっぱいいる、まだまだ甘い」と一喝されて気が引き締まりました。
佐藤くん
自分たちの今の立場を理解してもっと頑張れという叱咤激励ですよね。
鈴木くん
MASAYA先生には一章でも二章でも厳しいお言葉をいただいたのですが、その言葉の後に「瑠偉、頑張れよ」って言ってもらったことが、すごく心に刺さりました。「頑張れよ」の言葉にどれだけの想いとかが込められているのかなと思うとすごく深くて、頑張らないといけないなと感じましたね。
川口くん
僕は、ラップのレッスンでSWAYさんにいただいた言葉が印象深いです。初めてラップに挑戦したので、めちゃくちゃ緊張して上手くできなくて。そのときに「自分で緊張を殺すか、その緊張がパフォーマンスを殺すかどっちかだよ」と言われたことがあって、いまでも心に残っています。緊張のせいで今まで練習してきたことが、ダメになってはもったいない。だから、ときには緊張を押し殺して、切り替えてパフォーマンスをすることが必要なんだということを学びました。
遠藤くん
緊張をコントロールするのは難しいよね。でも、武者修行だったり色々なステージで場数を踏めるのは、すごくありがたいことでした。
山本くん
僕はレコーディングをさせていただいたときに、スキルが追いついてなかったせいで、いいものが全然出せていなくて。そのときにEXILE SHOKICHIさんだったり、音楽プロデューサーの方々に「制作陣が欲しがる声をもっと探って欲しい」と言われて、ビビッときました。自分の声のボキャブラリーを増やして、楽曲に対するアプローチを工夫していかないといけないんだなと思いました。
デビューシングル「Wheelie」発売中
未来を先取りし自分たちが新たな時代を作っていくという強い決意が込められた楽曲で、KID PHENOMENONが世界へ羽ばたき始める第一歩という記念碑的作品になっている。
初回生産限定盤には、「Wheelie」のMusic Video、Making Movieが収録!
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撮影/望月宏樹 ヘアメイク/竹島健二、高木早枝、竹村美来、日下咲良 取材/大井麗子、小石原悠介、崔允瑛 編集/齋藤菜月