酒井若菜さん(43)が40代になって、やめたこと「仕事や人間関係など、人生を見つめ直しました」

昔から変わらないベビーフェイスと、大人の色っぽさの両方を併せ持ち、不思議な魅力を放つ酒井若菜さん。昨年始められたYouTubeでは、「40代からやめたこと」というテーマの回が話題に。様々な経験を経て価値観が変化した酒井さんが、「40代になってやめたこと、始めたこと」について伺いました。

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酒井さんprofile

1980年9月9日、栃木県出身。高校在学中の1997年に「第8回ヤングジャンプ全国女子高生制服コレクション」準グランプリ、1999年に「日テレジェニック’99」に選ばれ、主にグラビアアイドルとして活動開始。その後女優へ転身し、数々のドラマや映画に出演。女優業と並行して、小説、エッセー集を発表するなど文筆業でも活躍中。

「何をやるか」よりも「何をやらないか」が大事だと気づきました

40代に入った時に、色々と自分の人生を見つめ直しました。人生も80年と考えれば、もう後半戦。今後自分にとってより良い人生を歩むためには、「何をやるか」よりも「何をやらないか」の方が大事だなと思うようになって。その方が、よりスマートな大人になれる気がしたんです。

その中のひとつが、仕事やプライベートに関わらず「何でもかんでも引き受ける」ということ。公私にわたって「いいよ、いいよ」と引き受けてきたところがあったので。仕事に関しては、若い頃から役者をしていて、作品の大きさなどで出演を決めたことはもともと無かったのですが、やっぱり時には、キャリアを築く上で”パッケージ力”があって箔がつくような作品にも出るようにしていました。

でも40歳を過ぎて、自分のパッケージを育てるために犠牲にしていることもあるような気がしてきたんです。特に俳優の世界はベテラン枠に入ってくると、技量はもちろんですが、人間性や信頼でオファーいただくことも増えてきた。心でオファーしてもらうことが多くなったからこそ、こちらが心を込められないものに出演するのは、お互いにとってよくないなと。逆に”心が動く”ということだけで出演を決めることも多々あります。

ただそれは、今までやりたくないことも全力でやってきたという自負があるからなんです。がむしゃらに「何でもやります!」という時期があったからこそ与えられた選択権。これからは頭で考えるのではなく、内臓が喜ぶような(笑)、そんな作品に出ていきたいと思っています。あまり自分で決めたルールに縛られ過ぎないように、周りの意見にもしっかり耳を傾けることはしたいですね。

やらない仕事を決めたら、やれることが増えました

作品のオファーを受けるかどうかは、直感で決めることが多いです。必ずしも自分の勘が合っているとは言い難いのですが、やっぱり、ワクワクすることをやっていくというのは大事にしている軸ですね。

あとはワンフレーズでいいから、「このセリフを言いたい」と思えるかどうかはすごく大きいです。作品全体に対してはあまり心が動かなくても、1つのセリフに惹かれて受けるというのはよくあるんですよ。「これは私がいつも思ってることだな」とか、「この言い回し、めっちゃかっこいい!」とか。出会う作品によってグッとくるポイントが違うのですが、「この人と一緒に仕事をしたい」というのもありますね。

出ないものを決めたことで、逆にできることが広がりました。例えばキラキラした若者向けの恋愛作品も、今までは私には向いていないとお断りしてたんです。でもやらない作品を決めたタイミングで、そういった作品も受けようと思えることが増えたんですよね。昔は”キラキラ系”というイメージだけで敬遠していましたが、台本を読んでいると「このセリフは人生にとってすごく大事だな」と思えることもあって。普段はそういった作品が眩しくて見られないような同世代の方達が、「酒井さんはなぜこの役を引き受けたんだろう?ちょっと見てみようかな」と思ってもらえる入り口になったらいいなと。何でもかんでも仕事を受けないというのは、制限をしているようで、実は余白ができて視野が広がったように感じています。

人のために、"頑張りすぎる"のをやめました

40代に入るまでは、”人のため”に生きていたんです。自分自身を主張しないで生きてきたと断言できるほどでした。だから、人のために頑張り過ぎるのはもうやめました。

でもそれは、人のために”頑張らない”ということではありません。誰かに力を貸したり支えるのは大人の役割だと思っているので、継続してやっていきたい。あくまでも”頑張り過ぎない”という、その匙加減が大切。自分のことをおざなりにしてまで、人助けをするのはいい加減やめようと思うようになりました。

若い時はアンパンマンのように、身を削ってでも人のために尽くしていました。例えるとすれば、お財布の中に500円しかないのに、「貸して」と言われたら2000円差し出すようなお人好し(笑)。でも40代になった今は、まずは自分を満たすことが先。自分と他人を、正しく天秤にかけることを心がけています。

後輩にとって、"気軽に相談できる存在"でありたかった

頑張りすぎていた理由は、若い時にちょっとしたことを相談できる先輩が周りにいなくて、すごく苦しかったんですよね。そういう人がいたらどれだけ救われただろうなと。だから自分がそういう存在になりたかった。「ちょっと若菜さん聞いてよー」と気軽に相談できる人になろうと思ったのが全ての始まりです。

そうしたらやっぱりみんな悩んでいたので、たとえ夜中の3時に電話がかかってきても、朝の5時まで話を聞いてしまう。その日が6時起きだったとしても、「ごめんね」と謝られると「全然大丈夫!」と言っちゃうんです。会ったことのない女優さんから、知り合い伝に相談されたこともあります(笑)。酒井塾が開けるくらい、後輩たちの相談にのってましたね。それを20年くらい続けたので、もういいかなと(笑)。

後輩たちも大人になってきたし、私も高慢だったなと思うのが、「私が支えてあげないと、この子たちが潰れてしまう」と勝手に思っていたんです。でも想像していたよりも、後輩たちは自分で考えて行動できる力と強さを持っていた。私自身ももう少し、彼女たちの人間力を信じて見守ることも愛情だったなと、今だからこそ思えます。彼女たちには昔の自分を投影して、彼女たちを守ることで自分を労っていた部分もあったのかもしれません。もともと相談を受けるのは得意なので、今後は自分を大事にしながら、周りも支えていけたらと思っています。

ミニマリストになるのをやめました

30代まではミニマリストになりたくて、荷物を減らしていた時期があったんです。3000冊以上持っていた大好きな本をほとんど処分したり。洋服も大量に後輩に譲って、どんどん物を少なくしていきました。

だけど40代に入った時に、ふと気がついたんです。私の周りの素敵な大人たちはみんな趣味があって荷物も多い。お家に遊びに行くと、アンティークのティーカップが棚にずらっと並んでいたり、ギターが何本も飾ってあったり、靴がシューズクローゼットにぎっしり入っていたり。そんな先輩たちを見ていたら、趣味に囲まれている人生の方が楽しそうだなと。その時から、一目で誰の部屋かわかるような、そんな生活をしたいと思うようになりました。ミニマリストの考え方は素敵だし、否定している訳ではなく、自分にとって彩豊かな家に住みたいと思っています。

観葉植物が好きなのでジャングルのようにしたいし、もう一回好きな作家さんの全集を揃えたい。食器も好きだから、好きな作家さんの個展に行ったり、骨董屋さんに行って集めたりもしています。40代になってからは特に暮らしを大事にするようになったので、毎日一緒に生活する物たちをどれだけ上質なものにできるか考えるようにしていますね。

洋服も手放したものの、時々思いを馳せてしまう初恋みたいな洋服もあって。これからはむやみやたらには捨てないで、本当に思い入れのある服は宝物としてとっておこうと決めました。

あとは、30代までヴィンテージにハマって全身古着を着ていたこともあったのですが、40歳を過ぎてからはやめました。自分も歳を重ねていくのに、外側も全部古くなるのはちょっと避けたい(笑)。どこかしらには新作を取り入れて、フレッシュさを纏うことを意識しています。

話し合いで解決するのをやめました

何でも”話し合いで解決する”というのをやめたんです。もともと私は口が立つ方なので、学校でディベート対決があれば率先して参加するタイプ(笑)。中学生の時、自転車のヘルメットを被るべきか否かのディベートで、1人だけ”被るべき”という立場をあえて選んで、どこまで自分の意見に引き込めるか挑戦するのが好きでした(笑)。

口で戦えば勝っちゃうというのはわかっていて。それも昔だったら「ちょっと生意気で面白いな」と思われていたことも、今は”怖い”とか、”命令”のような印象にもなりかねない。40代になってからは、一言の重みが変わってきたのを実感しているんです。だからこそ、ある程度キャリアを積んだ人は発言に気をつけなくちゃいけないと思っています。かと言って”何も言えない大人”にはなりたくないので、あくまでも言い負かさないということを肝に銘じて、丁寧に自分の意見を伝えられる環境をつくっていますね。

あとは、価値観が全く違う人とは、あえて折り合いをつけようとせず、少し距離感を保つようにしています。昔は自分の正義が全てだったから、それ以外は間違ってる!と解釈してしまう未熟さがあった。でも大人になると、それぞれの価値観が必ずあって、たとえ受け入れられなくてもいいよねと思えるようになりました。特にこれからは多様性の時代で、正解は複数あって当たり前。多様性をどれだけ許容できるかが、大人たちの腕の見せ所だと思っています。

 

ブラウス¥41800 スカート¥58300(ともにSUSU PRESS(IN-PROCESS Tokyo)) ピアス¥63800 リング¥173800(ともにマリハ)そのほか スタイリスト私物

SHOP LIST
SUSU PRESS(IN-PROCESS Tokyo)  03-6821-7739
マリハ 03-6459-2572

撮影/浜村菜月 ヘア・メーク/鈴木智香(AKA)  スタイリスト/後藤仁子 取材/渡部夕子

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