「家なんてなんとでもなります。生きてさえいれば」東日本大震災を被災したシンガーソングライターの立ち上がり方

“わが家”とは自分がいちばんほっとする居場所です。家族の思い出が詰まった住処であり、人によっては成功の証しでもある空間。それが突然、奪われてしまったら……。かけがえのない家を失ってきた女性たちは、その後、どのように立ち上がってきたのでしょうか。

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森 加奈恵さん 58歳・宮城県在住
シンガーソングライター

2011年 東日本大震災で自宅が全壊

家なんかなんとでもなります。
生きてさえいれば道はきっと開ける

’11年3月11日14時46分、仙台駅近くのホールで行われていた、娘さんの卒業式に出席していた森 加奈恵さん。大きな揺れが収まり、近くで仕事中だったご主人の車で自宅に戻ろうと車で向かっていると、ラジオから流れてきたのは「仙台空港が津波に飲まれている」という情報。車内で交わされたのは、「もう家ないね」「今日だったんだね」という会話でした。

実は震災が起こる7~8年前、東北大学で防災マップを作成するプロジェクトがあり、その際、森さんのご自宅がある亘理町の荒浜地区は、仙台沖地震が来た場合、津波の高さは5mと予測されていました。このプロジェクト以降、津波が来る危険性が頭の片隅にあったため、ラジオを聞いた瞬間、〝シミュレーション時と震源地は違っても、きっと自宅に津波は来ている。家はもうないかもしれない〟と家族皆が感じ、自然と出てきた言葉でした。ただ、あそこまで綺麗になくなってしまうとは想像できなかったと、森さんは言います。

震災から2週間ほど経ち、やっと帰ることができて目にしたのは、左側の門柱と花壇の一部がかろうじて残っていた我が家。周りの住宅や店も、ほとんど流されていました。「あー、こうなってしまったのね、と呆然とするばかり。それでもあまり喪失感がなかったのは、またこの場所でゼロからやり直せばいいという思いがあったからなんです」。

しかし、森さんのご自宅があった場所は、’12年に条例で災害危険区域に指定され、自宅を再建することはできなくなりました。「このコミュニティで老いていこう。終の住み家だと思っていたので、戻れないことが決まったときは、本当に悲しくて悔しくて……。住んでいた仮設住宅のお風呂場でシャワーの水を出しながら、思いっきり泣きました。そのときに生まれたのが、「思い出の跡」という歌です。なぜ歌を作ったのかとよく聞かれますが、どうしようもなく溢れてくる気持ちを歌にすることで、自分を保っていたのかもしれません」。

この歌は、動画投稿サイトに投稿したことがきっかけで注目されるようになり、今では、東日本大震災を思い出してもらう手伝いをするシンガーソングライターとして活動しています。「家なんかなくなっても何とかなる、どんなに絶望的な状況に思えても、命さえあれば絶望ではないんです。あなたがそこにいるだけで、周りの人は絶望することなく居られる。役に立っているんです。もしも多くの物を失い、辛い気持ちを抱えている人がいるなら『大丈夫! 生きてください』というメッセージを、歌とともに伝え続けていきたいと思います」。

雑貨・グルメ・野外ライブなどが楽しめる宮城県亘理町のイベント『荒浜マーケット』でステージに立つ森さん。
2018年には、ミニアルバム『永遠(とわ)~東日本大震災を思い出していただくお手伝い~』をリリース。
震災から約1カ月後。森さんの家を含め、基礎しか残っていない住宅がほとんど。
大学で写真部だった森さんの息子・森健輔さんは、カメラだけ持って避難し、消防団の記録写真も撮影。
貴重な写真の数々は、自費で写真集にして消防署や亘理町にも寄贈。

ご自宅があった場所は今も更地のまま。「この場所に来ることにやっと慣れました。いつまでも引きずっていたら、生きていけないので」と森さん。

○ 能登半島地震 被災者の方々へ

急いで頑張らなくて大丈夫。最後に立ち上がることができれば、それでいいんです。

<編集後記>「命を守ることがすべて」―― 改めて気づかされた取材

震災はいつ起こるかわからないので、住んでいなくても、その日たまたまそこにいる可能性だってある。移動中に聞いた「もし沿岸部にいたら、あなたが一番先に逃げる人になってね。大丈夫だと思って動かない空気でも、逃げる人がいたら、絶対みんな後に続くから」という森さんの話からも、命を守る行動について考えさせられました。(ライター 篠原亜由美)

撮影/BOCO 取材/篠原亜由美 ※情報は2024年4月号掲載時のものです。

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