学校に行きたがらない娘さんに、歌手・畑中葉子さん(65)が取った行動とは…

「学校へ行きたくない」、子どもの発したこの言葉に親は心配し、焦り、不安に苛まれるかもしれない。不登校は決して失敗ではなく、子が選んだ一つの選択。我が子が成長するための一歩と捉え、道を切り拓く姿を見守っていく。きっとそれは親の成長にもつながるはず。

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畑中葉子さん 歌手、女優
65歳・東京都在住

子どもには未来を切り拓く力がある
親がすべきは信じて見守ること

歌手の畑中葉子さんは、2人目のお子さんを出産後、休業し育児に専念していました。「娘は友達関係が難しくなる小5くらいから、学校に行きたがらない日がありました。当時はずる休みなんてありえないという時代でしたし、私自身が大の学校好きな子どもだったので、気持ちを理解できず、ベッドから引きずり出して登校させたことも」。

そんな日々を過ごしていた中1のとき、カウンセラーと面談をしませんかと学校から連絡が来たのです。「一生懸命子育てしていたので、必要ないと断りました。でも、娘の様子が少しおかしいことに気づき、学校に出向きました。そこで、カウンセラーの先生から『娘さんを学校に行かせないか、亡くすかのどちらかです』と言われ、ハッとしました。そんなに深刻な状況なのか、と。そして『お母さんが変わらなければ、娘さんは変わりませんよ。娘さんが何をしても、口を挟まず、見守ること。してほしいと言うことは極力やってあげてほしい』と指導を受けました」。

帰って、娘さんに「学校に行かなくていいよ」と言うと、ボロボロ泣き出したと言います。「その言葉を待っていたんでしょうね。それからはどこに行こうと、何をしようと、何も言わずに見守ることに徹しました。

2人きりで家にいるより外出した方がいいとアドバイスを受けたので、友達のオフィスにも出かけました。周囲からは「どうして学校に行かず遊んでいるのか、と咎められることもありました。でも、私だってなぜだかわからないんです。娘が苦しい思いをしているのに、私は何もしてあげられない。当時は、真っ暗なトンネルの中にいて針の穴ほどの光も見えないような心境で、車の中で一人で何度も泣きました。ただ娘は、2歳違いの弟と話すときは笑顔で、それが唯一の救いでした」。

ところが畑中さんの行動が変化するにつれ、娘さんも留守の間に料理や食器洗いをしてくれることが増え、中2になると勉強がしたいと自分から言うように。「塾は嫌だというので家庭教師に来てもらいましたが、その方が妹のようにかわいがってくださって。彼女の影響もあったのか、高校受験を決め進学しました」。

高校は休まず出席し、成績も優秀で、その後大学にも進学。卒業後は、自分のやりたい仕事を見つけて自立しているそうです。「信じて見守り続けることが大事なのだと学びました。子どもは必ず自分の道を切り拓いていけるのだと、今はわかります。辛かったけれど、私の娘であることが、ありがたかったと思うほどです。大人になってから、その年齢まで培ってきた自分を変えることは大変でした。でも、子どものためだから、できたのだと思うんです」。

<編集後記>今からでも決して遅くない。親は古い価値観を変えよう

高2でお父様を亡くされた畑中さんは、子どもを自立させなければという気持ちが強く「結構スパルタだったのかもしれません」と。よかれと思ってしていることが本当に子どものためになっているのか、今一度、振り返ってみなければなと感じました。畑中さん曰く「いつからでも遅くないんです。子どもの力を信じることです」と。(ライター 秋元恵美)

撮影/BOCO 取材/秋元恵美 ※情報は2025年5月号掲載時のものです。

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