宮崎謙介さん(44)息子さんは父に憧れ家庭科クラブに。2年間欠かさず続けた「弁当箱コミュニケーション」

先日STORYwebのインタビューに応えてくださった政治評論家・コメンテーターの金子恵美さんが語られた「宮崎謙介さん」の人間像が大変魅力的で、是非お話を聞きたいとオファーし実現した今回のインタビュー。

「僕はノリとフィーリングだから」とユーモアたっぷりながらも、時折、真剣な眼差しでどんな質問にも真摯に受け答えして下さいました。インタビューの最後にはスタッフに「何かお悩みはありますか?」と人生相談に乗ってくださった宮崎さん。本当に子育てに関わっていないと分からないような育児のリアルな話や、父子コミュニケーションのお話は必見です。(第2回/全2回)

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自分の子どもの時の記憶がすごい残っているので、息子が何を思っているのか置き換えて考えるようにしています

STORY編集部(以下同)ーー金子さんが、息子さんはお父さんのことをリスペクトされているとおっしゃっていました。息子さんとのコミュニケーションで心掛けていることはありますか?

金子はわりと息子に甘くて、ガツンと怒ることはしないんですが、僕は結構しっかり怒りますね。僕、自分が子どもの時の記憶が結構残っているんですよ。なんなら 2歳ぐらいから、当時どんなことを考えていたとかいまだに覚えていて。だから自分の子どもの時の記憶と、いま息子が何を思っているのか考えるようにしています。その上で、ダメなことをした時は理詰めで叱ります。やることやらないでゲームばっかりやって、寝る時間が遅くなってしまったらゲームを取り上げるとか。もちろん子どもも最初は反発しますが「本来、子どもが楽しんでいるものを取り上げたい親がどこにいると思う。お父さんだって意地悪で取り上げたんじゃない。なんで取り上げられたんだと思う?」「やらなきゃいけないことをやらずにゲームをしていたからです…」みたいに、父親の素直な気持ちも伝えると、単に頭ごなしに叱られているのではなく、自分の気持ちは理解してくれているんだな、と息子にも分かるみたいですね。性別が違うこともあるかもしれませんが、金子は息子を見ていて「自分と全く違う」と言っているので、僕の方が息子と似ているところがあるのかもしれません。

あとはなるべくしっかり息子のことを見るようにしています。昔から男2人旅にも行ったりしていたんです。金子とは些細な母子喧嘩をすることもありますが、僕には反抗しませんね。「昭和の親父」じゃないですけど、口ごたえさせません。反抗期がきたらどうなるかは分かりませんが…それはそれで楽しみですね。いまは、僕が仕事で家にいないと「お父さんいつ帰ってくるの?」と金子に聞いたり、朝起こしに行くと「疲れて動けないから抱っこしてー」とか言ってきてソファまで担いで運んだり(笑)。まだまだかわいいです。

息子は最近、家庭科クラブに入ったんです。生クリームをシェイカーみたいなのに入れて、15分〜20分ずっと振っているとバターになるんですよ。それを部活でやったらしく、最近は朝から僕のプロテイン用のシェイカーでずっとシャカシャカ振っています。なんで家庭科クラブに入ったのかと思って聞いてみたら「お父さんみたいに料理できたらいいと思って」と言っていて、それは嬉しかったですね。息子のクラスで家庭科クラブに入ったのは息子入れて3人、そのうち2人が男子だったみたいで。もう一人の男の子のお父さんも料理をされるらしく、その影響だそうです。多様性があっていいですよね。

幼稚園に通っていた2年間、毎日息子のお弁当を作って「弁当箱コミュニケーション」してました

ーー子育てで意識されていることはありますか?

よく「子育ては自分を成長させてくれた」なんて言葉を聞いたりしますが、僕自身、子育てが少し落ち着いてきて振り返ってみると、そんなつもりはなく、むしろそれは当たり前というか。ハイハイをし始めたぐらいの時、息子のことを「赤ちゃん」というより「1人の人間なんだな」って思った瞬間があったんですよ。1人の人間として、息子とどう向き合えばいいのか、彼はどういう性格なのか、何に興味関心があるのか、ということを常に真剣に考えています。

僕は3兄弟の末っ子なんですが、兄貴は小さい時も遊んでもらったりしていて親父とすごい仲いいんですよ。でも僕は末っ子だからか、父親に遊んでもらった記憶がほぼなく。父親は商社マンで激務だったので、土曜日はまるまる寝ていて、日曜日はもうずっとテレビの前で座っているっていう生活で。それなのに、たまに気まぐれで、こっちが気分じゃない時に無理やりキャッチボールさせられたりしたのがイヤでしたね。息子には、将来、彼が自分の幼少期を振り返る時に「お父さんにもっとこうして欲しかった」とか思って欲しくないと思っています。
そのためにはどうすればいいかを考えた時に、きっとあっという間に成長してしまうと感じたので、一緒にいる時間を増やそうと思いました。その時は、子どもを昼前に保育園に預け、夜迎えに行くという生活をしていたのですが、それだと親子の時間が足りないなと。コロナ禍をきっかけに、息子との生活に向き合おうと思い、金子に「幼稚園に転園させようか」と相談しました。保育園と違って、幼稚園だと預かり時間も短いし、今までの生活スタイルをガラッと変えなくてはいけなかったんですけど。社外取締役をしている会社との契約書にも「週○日来てください」という条件などがあったのですが、家族との時間を確保するために削ってもらったりしました。もちろん、成果はその分きちんと出します、と言って理解していただきました。

ーー息子さんが幼稚園に通っていた2年間毎日お弁当を作られたそうですね。

幼稚園に通い出してからは、お弁当も息子とのコミュニケーションツールでしたね。全部食べてきてくれるとやっぱり嬉しくて明日も作ろう!と思うし。たまに残してくる時があるんですよ。途中で弁当箱を落として食べられなくなったとか、お友達と話が盛り上がり過ぎて食べる時間がなくなっちゃったとか。そういう時は、お弁当箱を出しながら「ごめん全部食べられなかったよ」って申し訳なさそうに言ってくるんです。「いいよ、友達と話が盛り上がっちゃったんでしょ」とか言いながら…弁当箱コミュニケーションですね。今は小学校に入ってお弁当を作る機会は少なくなりましたけど、2時間家にいる時間があったら、夕食用の作り置きをバーっと作っておいたりします。この前は、息子の好きな崎陽軒のシウマイ弁当を真似て、自分で作ってみました。金子が谷原章介さんからレシピ本を頂戴して、そこに載っていたシウマイが美味しそうで。息子が喜ぶかな、とちょっと気合いを入れて作りました。シウマイ弁当のおかずは何が入っているのか調べるところから始めて、魚の漬け焼きや卵焼き、筍煮も作って再現したら、息子にも大好評でしたね。

息子には強く優しく、困っている人に手を差し伸べられる人になって欲しい

ーー息子さんに将来どういう風になってほしいとお考えですか?

強く、優しくなって欲しいですね。息子はまだ成長過程で、頭がいいかとか、体格がいいかとかは分からないですし、彼が恵まれているのかはわかりませんけど、現状、健康で元気に学校に通っていて、恵まれた環境にあるとするならば、誰か困っている人を助けるために力を活かすべきだということは常々言っています。「自分さえ良ければいい」という考えにはなってほしくないというのがベースとしてあって。でも、自分がやりたいと思ったことは何でもやればいいんじゃないかなとは思います。息子が「政治家になりたい」と言った時は「お、そうきたか」と思いましたね。テレビでウクライナやロシアのこととかをやっていると、何かしら考えるみたいです。「戦争はない方がいいよね」とか「これってどういう意味?」とか聞いてきたり。そうすると、まず金子が説明するんですけど、小学4年生には難しいんじゃないかなっていう説明の仕方なので、息子が腑に落ちてなさそうな時は僕がざっくりと説明して腹落ちさせています。

今は金子の母が来てくれているので、学校の宿題は義母が見て、僕は予習担当です。学校の授業についていけなくなると劣等感を抱いてしまうので、やっぱり予習って大事だなということで始めました。僕自身、学生時代に先生の説明がよく分からなくて苦労したので、自分で難しい問題集を買ってきて読み解きながら「こう教えたらわかりやすいし、伝わるんじゃないかな」とか思いながら、一緒に勉強しています。

息子は運動は向いていないのかな、と見ていて思うんですが、絵を描いたりする時はすごい集中しているし、完成したものを見ると結構いいものが出来ていて。小学校に入学して最初の学芸会でも、1年生で長いセリフを活き活きと、堂々と言えていて。これは向いているかも…と思って、その日の夜に劇団のホームページを検索したら、ちょうど入団の申込締切日で。子どもはもうパジャマを着ていたんですが「申込用の写真撮るからそこに立って!」って息子の写真撮って、即応募しました。そうしたら無事受かって、劇団の入学式でも代表挨拶を堂々としていましたね。表現と芸術的なセンスって積み重ねだと思っているので、感受性が豊かな今の年齢でやらせるのが大事かなと。野球もやりたいとは言っているんですが、あまり向いていないと思うので、キャッチボールとかはしますが、習うとなると劇団やピアノと両立ができなくなるよ、ということを説明して納得してもらったうえで、やらせていません。

ーー今後の目標はありますか?

いま複数の企業の顧問を務めていて、地域創性とかにも携わっているのですが、政治家だった頃の経験を活かせているので、やり甲斐も感じています。国政に戻るつもりはありますか?と聞かれたりもしますが、議員をやめてもう10年経つんですが、いち議員として、政治家として、やり残したと思うこともあったりはします。
この10年間、子育てに尽力しながら、迷いに迷ってブレにブレましたけど、子どもの手が少し離れてきたいま、岐路に立っているなとは思いますね。今後どうしたいかについては、まだ色々と考えている最中ですが、何をやるにしても全力でアクセルを踏むまでです。

撮影/平井敬治 スタイリスト/島元聡子 ヘア・メイク/RYO 取材/渡辺景子

宮崎謙介さんprofile

1981年生まれ、東京都出身。早稲田大学卒業後、生命保険会社やベンチャーを経て、2007年に学生の就職支援の会社を起業。2011年に自民党京都三区の公募に合格し、翌2012年に衆議院議員選挙に初当選。2015年、同じく衆議院議員だった金子恵美さんと結婚を発表。同年末には、国会開会中に1ヶ月程度の育児休業を取得する意向を示し注目を集めたが、翌年、自身の女性問題により衆議院議員を辞職。現在は複数の企業の顧問を務め、地域創成活動も行う傍ら、子育てにも尽力している。

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