與真司郎さん、カミングアウトまでの葛藤「恋バナできないことががずっと苦しかった 」
    2023年、大勢のファンの前で自身がゲイであることをカミングアウトした與真司郎さん。
恋愛に対して違和感を抱え、心を閉ざしていた思春期の辛かった思い出、そして、自身を解放できたLAでの経験や、家族への告白まで、細かな心情を交えてお話しいただきました。一見するだけでは、世間からは、與さんが心に抱える悩みは全く見えないもの。それは、ジェンダーに関わらずあらゆる問題で、私たちの子どもたちも抱えているものなのかもしれません。社会が変化している中で、子育てに関してもバイアスをなくしていかなければならない時代。與さんの、リアルな言葉が響くインタビュー前編をお届けします。
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與真司郎さん、マイノリティの子を持つ親に届けたい想い「幸せになれないなんて決めつけないで」
「バレたらやばい!」本心を隠していた中学時代
中学生くらいから、友人たちの間で女の子の話題が多くなって、好きな子やアイドルの話に自分は入っていけない…「やばい!」と感じ始めました。「あの子可愛いよな」と言われたらなんとか話を合わせてその場をやり過ごしました。同級生の女の子から「好きです」って言ってもらえることもあったのですが、嬉しい部分と、頑張って好きにならなきゃいけないという思いがあって、複雑で。
恋愛って、そんな無理してすることじゃないですか。だから、僕は一生恋愛なんてできない、変わっている人間なんだって自己肯定感は下がるばかりで。その頃って、テレビでも同性愛は茶化されることも多かったから、世間的にはダメなことで、自分はダメな人間だし病気なんだと思い詰めることが多かったです。同級生に恋愛感情を向けることはなかったのですが、…多分少し大人な男の人が好きだったので、思春期真っ只中に、周りと自分とのギャップを感じながらの生活は辛いものでした。
ずっと寄り添ってきてくれた人に嫌われてしまうのが怖かった
    そんなふうに自分の気持ちを誤魔化して生活していたから、本音を吐き出せる相手もいなかったし、本当の意味での友達はできなかった…孤独でした。そして何より、母親に話すことが一番ハードルは高かったです。「お母さん」って、生まれた瞬間から、ずっと寄り添ってくれている人で、その分、嘘も多いんですよ。嘘に嘘を積み重ねていって、どんどんどんどん言いづらくなっていっちゃう。
母親に、「彼女とかできないの?」って言われたことがあって…。言えなかったです、何も。嫌われるのが怖かったんです。今だから思うけれど、もしそのとき、“彼女”じゃなくて、“好きな人”とか、“パートナー”とか、どこか、“別に男の子でも女の子でもいいんだよ”っていうスタンスだったら違ったのかもしれない。とはいえ、母が育ったジェネレーション的に、そういうのを受け入れる感覚を養うのは難しかっただろうなって、分かってはいるんですけどね。
やっと息ができる!自分を取り戻したLA生活
    14歳でエイベックスのオーディションに合格して15歳で上京、脇目も振らずにに仕事をしました。それこそ、僕には打ち込めるダンスや、仕事があったおかげで、恋愛に関して深掘りせずに…自分を追い詰めずにすんだのかもしれません。恋愛対象については誰にも話しませんでした。1人でも話したら、絶対に話は拡がるし、バレたら人生終わりだ!くらいに思っていましたから、そもそも日本という国で、日本人と付き合うという感覚もありませんでした。20代前半、プライベートで行ったLAで初めて、男性同士が恋人然として堂々と振る舞っているのを見て、僕はここなら生きていけると、すごくホッとしたんです。
いつか移住しよう!その思いを胸に、とにかく仕事を頑張り、その5年後拠点をLAに移しました。やっと息ができる、自分らしく生きられる、そう思いました。でも日本に住んでいて、きっと僕のように苦しんでいる人たちはたくさんいるんだろうな…そう思うと、何かアクションを起こさないといけない気持ちが生まれてきたんです。
理解しようと僕に寄り添ってくれたことが嬉しかった
(僕がゲイだと言ったら家族はどう思うんだろう?)直接会って話すのは怖くて…渡米先から母に電話しました。「そんなん、早く言ってくれたらいいのに」という母の言葉に安心しましたし、姉からも「あんたの性格でよくここまで隠せたな」と。兄にも直接言いにくくて、姉同様に母から話してもらったのですが、少し時間が経って僕から「隠しててごめん」と連絡したら、「別に何も変わらへんし、お前は俺の弟やし、気にせんでいい」と。
『自分らしくありのままで日本でもありたいし、自分で自分を認めたい、そして日本で悩んでいる人たちの力にもなりたいからカミングアウトする』と家族に伝えたら、世間に公表するのは、“傷つくのが心配”と母と姉から反対されました。それで言い合いみたいになってしまって、しばらく連絡を取らない日々が続きましたが、母や姉はいろんな記事を読んで、僕の思いを理解し、応援してくれるようになってくれたんです。「シンがやろうとしていることはすごいことなんやな、あんたやったらできる」母の言葉に勇気をもらい、ステージに向かうことができました。
今となっては母と普通に恋愛の話もできる仲。きっと最初はびっくりして、すぐに受け入れられなかっただろうし、葛藤もあったと思います。でも理解しようと僕に寄り添ってくれたことが嬉しかった。親子って、一緒に生きているとすれ違いもあるし、嬉しいこと悲しいこと、たくさんあるけれど、人生の岐路に立たされたとき、どんな状況でも味方になってもらえることで、こんなにも大きな力になるんだと…ありがたいですよね。
與真司郎さんprofile
1988年生まれ。京都府出身。男女混合のパフォーマンスグループ、AAA(トリプル・エー)のメンバーとして、2005年デビュー。2021年、グループ初となる6大ドームツアーを終えたタイミングで本格的な活動休止に入る。2023年7月26日、無料招待したファン約2000人の前で自身がLGBTQ+の当事者(ゲイ)であることを公表しアーティスト活動を再開。その功績によりNewYork Timesで世界に影響を与えた人々12人に選出される。現在はソロ活動の他、アパレルや雑貨、アクセサリーなど、自身のライフスタイルを幅広く表現するブランド「446-DOUBLE FOUR SIX-」のブランドプロデューサーとしても活躍中。
撮影/加治屋圭斗 ヘアメーク/Maki Sato Stylist/SUGI(FINEST) 取材/竹永久美子
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