女優・小田茜さん(44歳)どん底からの再出発「国民的美少女」の肩書きが最初は嫌だった
1990年、わずか11歳で第4回国民的美少女コンテスト(当時最年少)のグランプリを受賞した小田茜さん。見目麗しい顔立ちは瞬く間に話題となり「第二のゴクミ」がいつしかキャッチコピーに。「小学4年生の頃から女優になりたいと思っていたんです」。過去を懐かしむように微笑む小田さんのまっすぐな眼差しは、昔と変わらない意志の強さを表していました。女優としての活躍、結婚、そして離婚後シングルになってからの芸能界再出発…。そこに至るまでの軌跡をたっぷりとお伺いしました!
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《プロフィール》
1978年11月6日、栃木県生まれ。11歳で第4回全日本国民的美少女コンテストのグランプリを受賞して芸能界入り。女優として活躍する中、結婚・出産を機に芸能活動をセーブ。その間にヨガと出合い、造詣を深めていく。離婚後、2022年に女優として再始動。インド政府公認ヨガ資格を取得し、ヨガインストラクターとしても活動中。
44歳の今も枕詞は「国民的美少女」。違和感を覚えた時期もありましたが、今ではアイデンティティの一つに
テレビや雑誌などに出させていただく際には、今も「国民的美少女コンテストの…」と紹介いただくことがあります。43歳で芸能界に復帰し、最初の頃は「その枕詞はもう必要ないんじゃないかな?」と思っていました。大昔の11才の頃の話ですし、過去の栄光ですから。過去どうであったかより、今の自分に何ができるかということのほうが重要なんじゃないか、と違和感を覚えた時期もありました。 ですが復帰してから受けたインタビューやいろいろな仕事を経て、私を紹介する上では切り離せない、大切なアイデンティティだと思えるようになりました。それがあってこその私だと今は感じますね。過去に甘えることなく、またそこから出発して、新しい小田茜を皆様にお見せしていきたいと思っています。
グランプリを取ったものの、自分の理想と現実のギャップに葛藤
当時は空前のコンテストブーム。数あるコンテストの中で、ピンときたのが「国民的美少女コンテスト」でした。ただ、その時は応募規定の年齢を満たしていなくて。でも直感を信じ、「絶対に来年応募するから!」と鼻息荒く(笑)。両親の反応ですか?諸手を挙げて賛成というよりは、私の希望を尊重して見守ってくれていた感じです。ダメもとでやってみたら?という思いだったのかもしれません。そうでもしないと諦めないだろう、と。
ただの田舎者の、ほんの子供でしたから(笑)。グランプリを取った後はやることなすこと初めての連続で、日々驚くばかりでした。
誰にも負けないくらい女優になりたいという強い気持ちで飛び込んだ芸能界ですが、最初、特に10代の頃は自分の理想と現実のギャップに悩む毎日。恐れ多くも「第二の後藤久美子さん」と呼んでいただいたりしましたが、嬉しい反面まだまだ未熟で、素直には喜べませんでした。多くのマスコミの方々の前で「今の気分は?」とコメントを求められても、しどろもどろになって上手く答えられない。自分の話し方、見せ方、立ち居振る舞い…全てにおいて自信が持てなくて、反省ばかりしていました。どうしたら、いつでも背筋がシュッとした、自信のある自分になれるのかなって。
デビューをしてからはいろんなお仕事をさせていただきました。ラジオやバラエティ番組、そしてドラマや映画にも。念願のお芝居をさせていただいても、「女優」と呼んでもらうには程遠くて。「こんなんじゃない」と現場で焦ったり、葛藤する日々でした。
『いちご白書』から、その後『ピュアラブ』に出合い、少しずつ女優としての自信が芽生えた
20代で出合った作品のおかげで、10代の頃からの葛藤が少しずつ晴れてきたのかなと感じています。 小田茜といえば、ドラマ『いちご白書』と記憶してくださっている方もいらっしゃるかもしれませんが、それ以降はなかなか代表作と呼べる作品には出合えませんでした。そんな中、20代前半で出演したドラマ『ピュアラブ』はお芝居に自信を持てるきっかけになった、思い出の作品。大変好評で第三作まで作られましたが、この頃から徐々に、周りに「小田茜」という女優を認めてもらえるようになった気がします。周りの認識とわたしの気持ちの距離が縮まってきたというか。この作品のおかげで演技の幅も広がり、本当にありがたい巡り合わせでした。
結婚、出産、移住、芸能活動休止。変化の荒波をむしろ自分で選んできたのかも(笑)
芸能活動が順調な中、結婚、そして出産を経験しました。仕事と子育ての両立は当初から考えていなくて。育児が最優先だと思いましたし、芸能界を離れたことに後悔は全くありません。育児に没頭できたのは宝物のような経験ですし、私自身を大きく成長させてくれました。
出産後は本格的に仕事をセーブし、家族で北海道に移住。きっかけとなったのは東日本大震災です。あの出来事の後、どういう生活が理想なのか、何度も家族で話し合いました。そんな中で出た結論が大自然の中での生活だったんです。前の夫の出身地でもありましたし、私自信、都会にはない広いお庭でガーデニングをしたり、自給自足的な生活にちょっと憧れもありました。
環境の変化への戸惑いですか?私、変化することに全く抵抗がないんですよ。むしろ大好き!(笑)そっちのほうがドラマがあると思いませんか?もちろん失敗もあったし、紆余曲折もありました。決して順風満帆だったわけではないですが、マンネリな日々を過ごすより、アップダウンがあったほうが刺激的で面白いんじゃないかなって。子供の頃から変化や刺激を求める種は私の中にあって、成長とともに一緒に育っていったのではないかと思います。
離婚して、まっさらに。「自分には何もない」と、女優をやっていた自信はどこかへ行ってしまっていた
家事に育児にと精を出していましたが、40歳で離婚をして、まっさらになりました。まっさらどころか、マイナスになったのかもしれません。それくらい、離婚の当時は「これからどうしよう」と不安な気持ちに苛まれていました。「自分には何もない」って、思ってしまったんです。かつてコンテストでグランプリを取った自信、女優をやっていた自信はそんな時には全然役に立たなくて。その経験や蓄えがあったとしても、表現する場がなければそれまでなんだなと、痛感しました。 どんよりした気持ちで日々過ごしていたなか、一筋の光になってくれたのが、離婚の数年前から友人の勧めで始めていたヨガ。離婚後、本当に動く気になれなかった時は少し離れていたのですが、徐々に再開。ヨガをすると体が変わることはもちろん、心も変わるんです。かつては感情の波が激しかった私ですが、ヨガを通して随分とその波をコントロールできるようになったと感じています。
ヨガで自分を取り戻し、ふつふつと湧き上がってきた「アップデート欲」で女優復帰
前向きにヨガに打ち込む中で、「もう一度、女優になりたい」という気持ちが芽生えてきました。小学4年生の頃の、純粋に夢を描いた頃のあの感覚が、ふと蘇ったんです。30歳で結婚し芸能活動を休止した時は「芸能界のあらゆる仕事をやった、やり切った」という気持ちがありました。いろんな世界を見させていただいた、とも。だけど、「まだあるはずだ」って思ったんです。するととめどなく、まだまだ知らない世界を見てみたい!という貪欲な気持ちが湧いてきました。まだまだ私は変われるという、アップデート欲とでも言うんでしょうか。
「人生100年時代」と言われる今、人間も常にアップデートして変化に適用していく。体が硬かった私が、日々の練習でいつの間にか開脚ができるようになったみたいに、徐々に徐々に自分を更新していく。そうすることで、長い人生、ずっと新鮮でいられると思うんです。
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《衣装クレジット》 ノースリーブトップス¥12,100オールインワン¥41,800(ともにガリャルダガランテ/ガリャルダガランテ 青山店)3点セットイヤーカフ¥8,800バングル¥7,830リング¥7,560(すべてアビステ) 《お問い合わせ先》 アビステ ☎03-3401-7124 ガリャルダガランテ 青山店 ☎03-6427-2126
撮影/魵澤和之(まきうらオフィス) ヘア・メーク/大江一代 スタイリスト/中村智香子 取材/キッカワ皆樹 編集/永見 理