山田邦子さん「60歳過ぎて若手の売れっ子たちと番組やっているなんて、人生ってほんとに面白い」
昨年末、日本一の若手漫才師を決める大会「M-1グランプリ」決勝戦で審査員として初参加。その明快かつ芯を食った大胆な選評で大きな話題をさらった山田邦子さん。10代からモノマネネタでテレビに出演、20代でバスガイドのモノマネネタでブレイクし一時期は14本ものレギュラー、3本の冠番組を持ち「唯一天下を取った女性ピン芸人」と言われる彼女に63歳の今の心境と「今の邦ちゃんが出来上がるまで」をうかがいました。
今回はその第1回目、「講堂の人気者だったころから笑いへの思いは変わっていない~人生イチ芸人」です。(全3回の第1回)
Profile
1960年東京都生まれ、1980年 芸能界デビュー。1981年、 デビュー曲『邦子のかわい子ぶりっ子バスガイド編』で有線大賞新人賞受賞。『オレたちひょうきん族』『やまだかつてないテレビ』などで人気になり多数の冠番組を持つ。2020年、 YouTube『山田邦子 クニチャンネル』開設。これまでに共演した大御所芸能人との秘話から、最新の芸能ニュースまで次々と切り込む動画が大好評。2022年12月18日、「M-1グランプリ2022」(ABC朝日放送系列)の審査員をつとめ、大きな話題に。
2007年に乳がんを罹患し、その体験から2008年にがんに対する知識と理解を呼びかけるチャリティー団体「スター混声合唱団」を設立。団長を務め全国各地にて活躍中。執筆活動も精力的で『生き抜く力』(祥伝社新書)など著書多数。
「消えた20年」「今プチブレイク」なんてイジって紹介されるけど 舞台もライブもいっぱいやってたわ! って言い返してます(笑)
この間、とある番組で芸人さんに「この20年何もしてなかった」なんて言われちゃって、テロップまでつけられちゃって(笑)。「いや、舞台もライブも、ずっといろいろやってたよ!」と返しました。何もやってないわけじゃなくて、ただテレビにあまり出ていなかっただけ。でもテレビに出ていないと何もやってなかったように言われてしまうんですよね。
3年ぐらい前に浅草演芸ホールに出させていただいたときも「ご存じ! 山田邦子」と紹介されてドーンと出て行ったのね。最近の浅草って、若い方が着物を着てブラブラするのが流行っているから、ときどき客席にいらっしゃる20代の方の中には山田邦子を知らない方もいるの。そのことに気づいてからは「ものまね漫談の山田邦子です」とはっきり自己紹介するようになりました。そしたら面白い、って言ってくれて次もまた来てくれたりするのよ。それが嬉しいんです。
浅草演芸ホールに出ると客席に寝ているおじさんとかがよくいるんです。1日3000円で朝から晩までいられますから、ただの時間つぶしの人や他の芸人さんが目当ての方、自分の手帳に芸人のネタの点数をつけている方もいらっしゃる。自分目当てではない人をいかに睡眠から呼び起こすか(笑)、耳を傾けさせられるか、舞台に注目させられるか、毎回真剣勝負です。芸人魂のスイッチが入ります。「?」とキョトンとしていたお客さんが次来てくれたときに、最初からこっちを見てくれたりするとしてやったり!
でも、演芸ホールのギャラって出演者で頭割りするから、自分の分が300円ってことなんてザラ。それはどんな笑点に出ているような大御所の師匠でも同じ。すごいシステムよね(笑)。けれどお金以上に得られるものがある。板の上に立って生身のお客さんと向き合う仕事はやめられません。
「M-1グランプリ」決勝戦の審査員をやって直に受けたSNS洗礼。 ビックリしたけど、すごく面白かったんです
初めて審査員をやらせていただいて、SNSでは山田邦子に賛否両論ありました。
昔だったらテレビの評判なんて新聞に投稿されるかファンレターをもらうか、せいぜい道ばたで「この間見たよ」なんて言われるぐらいだったのに、今って生放送でやっている瞬間からバンバン評判が入ってくるのね。ものすごい数です。本番が終わってすぐにSNSがすごいことになっていることを知って、私はビックリしたけど、つい面白くなっちゃって(笑)。
「どこのおばちゃんだよ」「何をえらそうに」「行き当たりばったりのひどい採点だ」なんて批判する人がいれば、擁護してくれる人もいて、もうネットは大変な戦い。そこに私がひょいと「見てくれてどうもありがとう」なんてリプライを返したら「本人参戦」「山田邦子降臨」なんてまた盛り上がっちゃったりして。なんて面白い風潮だろうと興奮しました。
いろいろ言われて大変?
とんでもない! ざわつかせたいいわけじゃないけど、自分が関わってたことで、面白がってくれる人がいるなら、私が参加する意味があると思っているから。それに視聴率に貢献できるならほんとに嬉しい。
M-1の審査員やったことが少しずつ話題をよんで、今霜降り明星やチョコレートプラネットと「新しいカギ」(フジテレビ系)に準レギュラーとして出させていただいて、M-1と同じようにものすごい盛り上がりの中、学校の先生と即興漫才の審査員をさせていただいております。ワクワクして仕方がない!20年間どこにいってたんだ、なんて言われていた山田邦子が60歳過ぎて若手の売れっ子たちと番組やっているなんて。人生ってほんとに面白いと思います。
でもね、今プチブレイクみたいに言われてますけど、私自身は何も変わってません。自分は変わっていないのに、世の中が少しずつ動いて扱いや立場が変わってちゃうんですから不思議ですよね。
20代から30代にかけては多い時で、レギュラー14本、冠番組も数多くやらせていただいて、女芸人で唯一天下を取った人間なんて言われました。でもそのころから、少しずつ流れが変わって、気づいたら冠番組は1つもなくなり2007年に乳がんが発覚。そこから人生ががらりと変わりました。
もしかしたら売れっ子だった時から状況が変わって、私がひどく落ち込んだり腐ったりししてるんじゃないかと思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、実は自分としてはそこの落差はあんまり感じていませんでした。ただ働きづめだったときは本当に寝ていなかったし、頭もバグっていたし、プレッシャーでストレスだらけ。いつの間にか潮が引くように、すーっとテレビの仕事は減っていきましたが、同時にストレスも少しずつ消えていきました。
売れているといいこともあればよくないこともあります。天下を取ったなんて言われましたが、もともと私は天下を取るためにやっていたわけではありませんでしたから。とにかくおもしろいことがやりたい、という一心でやっていたので仕事の種類や状況が変わったことは多少寂しくはあったけれど、地位を失ったとか立場がどうとか、そんな風には思いませんでした。
ネタをやるのが怖い女芸人もいると聞くけど 私は人生イチ芸人、一人でも多くの人を笑わせたい
今のテレビのお仕事ってグルメレポートしたり、VTRを見て感想を言ったりすることも多いでしょう? 女性芸人さんの中にはネタをやるのは怖いっていう人も多いみたい。今さらネタ番組に呼ばれても何していいかわからない、みたいな。
賑やかし、ガヤ、リアクション芸も1つの仕事。もちろん、板の上に立ちたいピン芸人としては「それでほんとに芸人って言うのかな?」「つまんなくないのかな」と思わないこともないけれど、いろんな仕事があるわけで、それはそれ。皆が笑ってくれればそれでよし。
ただ、私は仕事じゃないから何もやらなくていいよと言われても、ついつい人がたくさんいるとバスガイドネタもやっちゃう。先日も友達のクルーザーに招かれて、ついつい海の上でも「あちらに見えるのが……海でございます。こちらに見えるのが……海でございます。そして右手をご覧ください。いちばん高いのが中指でございます」ってね(笑)。頼まれてもいないのね。
私はきっと、講堂でバスガイドのモノマネをやってきた学生時代から多分何も変わってないんです。サービス精神がなければ山田邦子じゃない。自分が面白いと思うことを誰かが面白いと、と笑ってくれる。それがいちばんの幸せ。生涯イチ芸人として1人でも多くの人が笑ってくれたら本望なんです。
実は今の自分は絶頂期と同じくらいか、それ以上に働いていると思います。行けば終わり、って仕事だけじゃなくて自分で作・演出、プロデュースもしています。
いつの山田邦子も完成形じゃない。やっていないこともまだまだたくさんあります。未完成を楽しみながら、いつまでも目の前の誰かを楽しませられる人生を私自身もワクワク楽しんで行きたいですね。
撮影/河内彩 取材・文/柏崎恵理
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