元NHKアナウンサー久保純子さん「一度きりの人生。自分の〝やりたい〟はいくつでも実現させていきたい」

多くの人が憧れる職業〝アナウンサー〟。難関試験を突破して放送局に入社しながら、20代、30代で退職し、異なる分野でも、新たな才能を開花させる方が増えています。今回は、そんな方々を取材した第2弾。道を切り開いていく彼女たちは、人生100年時代のお手本なのかもしれません。


元NHKアナウンサー 久保純子さん
51歳・NY在住 幼稚園教諭、フリーアナウンサー

「アメリカでは年齢による線引きはなく、白髪の女性が真っ赤なネイルをして颯爽と歩いていることも。それぞれのステージでやりたいことを赴くままにやっています」。

一度きりの人生。自分の〝やりたい〟は
いくつでも実現させていきたいから

久保純子さんは、「クボジュン」の愛称で親しまれ、’98年から3年連続紅白歌合戦の司会を務め、プロジェクトXのMCや連続テレビ小説のナレーションを担当するなど、NHKの顔として大活躍してきました。

そんな人気絶頂の中、’00年に結婚し、’02年に長女を出産されました。「20代は、楽しく、忙しく、24時間仕事に夢中でしたが、長女を出産して、こんなにも愛しい存在があるのか、とはっとさせられました。と同時に、立ち止まり、自分が本当にしたかったのは何かという原点を思い起こす機会でもありました」。

実は、久保さんがNHKに入局したのは、子ども番組を作りたいという夢があったからでした。「小学校時代をイギリスで過ごし、高校はアメリカに留学して、『言葉』を通じてさまざまな文化や価値観に触れることができました。その経験から、将来は、子どもたちが『言葉』を通して世界中の文化に触れる手助けがしたいと思い、英語の教員免許を取得しました。でも、『22歳の私に何が伝えられるだろうか』という不安もあり、就職して社会を知ろうと」NHKに入局したのでした。

長女の出産を機に「言葉」と「教育」という原点に戻って悩んだ末、’04年にフリーに転向することに。その後は、民放でも、アテネオリンピックや情報番組でキャスターとして活躍しましたが、一方で、念願だった子ども番組『クボジュンのえいごっこ』などの放送も実現できました。「企画から携わり、自分の子育ての感覚を存分に盛り込んで番組を作ることができました」。

さらに転機となったのは、’11年。ご主人の転勤でカリフォルニアに転居した、40歳のときでした。「日本では育児と仕事で大忙しでしたが、少し自分の時間が持てるようになり、今こそ、やりたかったことを形にするチャンスだと感じました」。

以前、知人のお子さんで、いつもニコニコしている子がいました。「お母さんに『どうして何をするときもこんなにハッピーなの?』とたずねると、『モンテッソーリ教育』で培われたのかもしれないとおっしゃったんです。調べたところ、子ども本来の力を引き出す教育メソッドだと知り、当時から勉強してみたいと思っていたのです。今こそチャンスと思い、学校を探し、1年間講習を受けました」。

その後日本に帰国し「1年間、朝7時半からお昼すぎまで、幼稚園で教育実習をして論文を書きあげ、2年かけて、モンテッソーリの国際免許を取得しました」。午後からはアナウンサー業というハードスケジュールでしたが、「とても楽しかったです。ずっと温め育ててきた思いが開花したようでした」。

’16年に、ご主人の仕事の都合でニューヨークに再び転居しましたが「娘の学校の送迎が必要で、すぐには動けなかったのですが、次女が13歳になり、コロナ禍も収束し始めた’21年に、勤務したい幼稚園を探して履歴書を送り」、面接を受け、採用されました。

アメリカでは「日常生活において年齢で線引きすることはなく、履歴書にも年齢を記載しません。今までの仕事と異なる職種に就くことも特別なことではないんですね。友人にも40代になってから弁護士資格を取得した方もいますし、現在の同僚にも、私と同年代だと思いますが、ファッション業界から転職してきた方もいます。それでも、私自身、園に勤める前は、20代の先生方と話が合うか、ついていけるかと少し心配でした。でも、いざ飛び込んでみると、子どもへの愛という共通項があるので、全く困ることはありません。先生方それぞれが個性を発揮しているので、毎日刺激的で勉強になります」。

現在は、週5日朝8時から16時まで幼稚園で勤務する一方、日本のラジオでレギュラー番組を持ち、また、大好きなブロードウェイミュージカルでアシスタントプロデューサーを務めるなど、実にさまざまなチャレンジをしています。

「一度きりの人生、自分のやりたいという思いを実現させたいんです。必要なのは、『やろう』という気持ちだけ。始める前は不安でも、重い腰を上げて一歩踏み出してみれば、楽しい世界が広がっています。今後も、仕事でなく趣味の延長だったとしても、自分が好きなことで、誰かのためになるならチャレンジしたいです」と言う久保さん。幾つものわらじをはいて、今も爆走中です。

安野モヨコさん原作『鼻下長紳士回顧録』がブロードウェイでミュージカル化されるにあたり、アシスタントプロデューサーとしても活躍中
アナウンサーとしては、日本のメディアはもちろん、アメリカでの日米交流イベントの司会など、交流に貢献できることは積極的に引き受けるそう。

<1994年>
NHK入局(大阪放送局)

<1996年>
NHKの東京アナウンス室へ異動

<2004年>
フリーランスのアナウンサーに

<2011年>
夫の海外転勤を機に渡米

<2012年>
モンテッソーリ教師養成学校へ

<2014年>
モンテッソーリ教育の国際教育資格を取得

<2022年>
モンテッソーリ幼稚園で教諭として働く

人生を楽しむママたちが周りにたくさんいて、私も休日は"遊び探し〟をしています。この日はワイナリーへ。
久保さんが勤務する幼稚園。
現在2歳から6歳の子どもたちを担当しています。
子どもたちはさまざまな教具から、自分の好きなものを選んで、遊んだり、作業したりします。
「子どもたちが『自分でできた!』という経験が広がるよう、使いやすい道具を用意するなど環境を整えることも大切な仕事のひとつです」。

「学び直しは、みな、必要に応じて自然にしていますね。コロナ禍でオンラインなどでも学びやすくなったので、私も認知学や脳科学を勉強したいと思っています」。

<編集後記>やりたいことは全部やるという精神に刺激を受けました

アメリカでは、年齢による区切りがなく、何歳からでも何者にでもなるチャンスがあるとのこと。日本でも、転職や学び直しが注目されていますが、人生100年時代、やる気次第で何歳からでも新しい挑戦ができる社会に変わっていくべきと感じました。また、私自身も、久保さんのように、学びやチャレンジを続けていきたいです(ライター 秋元恵美)

取材/秋元恵美 ※情報は2023年7月号掲載時のものです。

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