子どもの「早期教育」はしたほうがいい?東大医学博士ママの結論は?

──たくさんの情報があふれる今、育児についても「これが正解」と納得できる答えを見つけるのは難しいもの。「周囲と比べてしまうとき」「親世代の育児とギャップを感じたとき」ブレずにいられる最新情報を、医師で東京大学大学院客員研究員の柳澤綾子先生に各国の最新医学研究データのエビデンスをもとに教えていただきました。(今回のテーマは「早期教育」です)

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※掲載内容は2023年9月現在の情報です。

今回の質問

 

Question

幼稚園のママ友から「おうち英語」をはじめたと聞きました。我が家も早めにスタートしたほうがいいのかと焦ってしまいます。

 

Answer

これまでの研究では『質の高い早期教育には意義あり』と言われていますが「はじめる年齢や内容」には注意点も。

 

【お話を伺ったのは……】

 

柳澤綾子(やなぎさわ・あやこ)先生

医師・医学博士。東京大学大学院医学系研究科社会医学専攻公衆衛生学分野客員研究員。東京大学大学院医学系研究科公衆衛生学博士課程修了。麻酔科指導医、公衆衛生学・社会疫学・医療経済学領域の研究者であり、プライベートでは二児の母。

英語学習を始めるのに効果的な「年齢」がある?

「英語の早期教育の必要性」については、まだ議論に決着がついていません。国内での大規模調査が少ないこともあり、その効果についての意見は分かれたままです。ただ、現在はAI翻訳の精度も急速に上がっています。子どもたちが大人になる頃には、会議中にもAIで同時通訳がスムーズにできるようになっているでしょう。英語はあくまでも社会生活を営む上での道具の一つです。語学力自体よりも、言語を使いこなすための能力のほうがより重要であるという考え方が主流です。母国語の学習時間を削ってでも英語を学ばなくては、と焦る必要はまったくないと思います。その上で近年の研究では、語学を効果的に学習できる年齢、時期があるとされ、そのピークは5歳~7歳頃から始まるといわれていますが*1、逆に認知神経科学の観点で見れば、この年齢以前の英語教育は、日本語習得の妨げになる可能性もあるという調査結果も出ており未だ研究者の間でも議論は割れています。これは日本語という言語の特殊性と日本語と英語の言語としての特徴の近さ具合により、他国で行われている英語習得方法が日本語から英語を習得する場合とは異なるプロセスである可能性があること、また日本国内で行われた研究も、バイアスをできる限り除去するために可能な手段は使っていますが、それでもまだ調整しきれていないバイアスの存在が考えられること、また研究対象集団に偏りのある母数となっている可能性などにより、なかなかこれ!と結論づけることのできる研究成果は出ていないというのが正直なところです*2。近年は「おうち英語」などといわれる「家庭生活の中で英語を学ぶ手法」も話題になっています。リビングで英語の歌や映像をかけ流しておいて、暮らしの中で言葉を学ぶこと自体はいいのですが、幼い時期に英語ばかりに時間をかけてしまうのはもったいないです。まずは母語や思考力を身につけることのほうが、のちのちの語学力向上のためにも大切です。ただ、これはあくまで現時点で研究成果を踏まえての話。今後も英語教育については議論が続きそうですね。

 

「早期教育」を受けた子の“その後”を追った衝撃データ

早期教育全般に関しては、アメリカ・ミシガン州で行われた「ペリー就学前プロジェクト※」が有名です*3。2000年のノーベル経済学賞を受賞した経済学者・ジェームズ・ヘックマンが発表したこの研究結果は世界に衝撃を与え、各国で幼児教育ブームが起きました。プロジェクトでは「低所得者層の多く住むエリアの子どもたちの中で質の高い教育の機会を与えたチーム、与えないチームを比べると、犯罪や病気などのリスクや、生涯年収に大きな差が出る」というデータが出ました。1960年代の実験開始当初に子どもだった人たちの「その後」を中年以降まで、50年以上追いかけるという非常に長いスパンの社会実験です。子どもが幼いころの教育投資がやがて大きなリターンを呼ぶことを実証したデータは大きな衝撃をもって迎えられました。この結果を踏まえれば、「早期教育はコスパが良い」といえるのです。研究結果を受けて、各国でも幼児教育をより多くの子どもたちに受けさせようという機運が高まりました。幼児教育は、短い期間でも大きな成果が出やすいです。ペリーのプロジェクトでは中年期以降の2年間より、幼児期の2年間の教育成果のほうがその後のリターンははるかに大きく、1USドルの教育投資から後に還元される額は7.16USドルほどになるという試算が出たそうです*4。国や自治体レベルで考えると将来的な税収増や犯罪抑制効果が見込めます。教育を投資という観点から見るならば、「コスパもタイパもいいのが幼児教育」であるといえるのです。ただ、そのためには質の高い教育だけではなく、子どもに対する愛情にあふれた環境を与えることが何より大切です。

※ペリー就学前プロジェクト アメリカ・ミシガン州で開始され、1960年代から現在まで追跡調査が続く幼児教育の実証実験プロジェクト。名称は実験が行われた小学校付属幼稚園名から

 

子どもの能力を伸ばすために「一日15分」でできること

先の調査で注目されたことの一つに「非認知能力」があります。調査では、早期教育で先取り学習しても、学力やIQは後からすぐに追いつかれてしまうことが分かりました。それだけを聞くと早期教育は意味がないのかと思いますが、学力として数値でははかれない意欲、判断力や思考力といった「非認知能力」は、早期教育を受けた子どものほうが大きく数字を伸ばしていて、その後の進路や就業、所得にも影響したという結果も出ました。非認知能力が高い子は「人生全般の幸福度」が高まるともいえますが、これも認知能力と非認知能力を線引きして数値化することも難しいため、多数の研究結果をメタ分析するシステマティックレビューでは現在のところはっきりした差異は確立されていません*5。
しかしながら、生きてゆく上でとても大切な能力だと言われ始めている非認知能力を、生活の中で伸ばすために大切なのは、「子どもとしっかり向き合う時間を作る」ことです。前回もお話ししましたが、「ママでないとダメ」というわけではなくて愛情をたっぷり注いでくれる人が身近にいればいいのです。自分のことをしっかり見てくれて、ありのままの自分を受け入れてくれる人がそばにいると思えることが子どもの自己肯定感につながり、非認知能力を伸ばします。「仕事やきょうだいの世話で忙しくてなかなか時間が作れない」という人も多いですが、必ずしも長い時間が必要だというわけではありません。寝る前やお風呂の中での15分だけでもいいから、子どもにしっかり向き合ってあげられる時間をぜひ作ってください。子どもの話をじっくり聞いてあげるのでも、一緒に遊ぶのでもいいです。その時間だけは片手間にスマホを見たりしないで、子どもに向き合う。あとは、「お母さんはこれからやらなければいけないことがあるから子どもだけで遊んでいてね」という時間があってもいいと思います。「忙しいのに」と思いながら子どもと向き合うより、短い時間でもずっと意味があるはずです。

(主要参考文献)

*1 : Andringa, S. (2014). THE USE OF NATIVE SPEAKER NORMS IN CRITICAL PERIOD HYPOTHESIS RESEARCH. Studies in Second Language Acquisition, 36(3), 565-596.

*2 : Kohei Toyonaga, Kosuke Sudo, A Study on the Effects of English Education in Elementary Schools: Criticism of Previous Research and Empirical Analyses, THE JAPANESE JOURNAL OF EDUCATIONAL RESEARCH, 2017, Volume 84, Issue 2, Pages 215-227

*3 : https://highscope.org/perry-preschool-project/ (Cited 2023 Sep 20)

*4 : “Giving Kids a Fair Chance” James Joseph Heckman  『幼児教育の経済学』ジェームス・J・ヘックマン(2015年、東洋経済新報社)

*5 : Smithers LG, Sawyer ACP, Chittleborough CR, Davies NM, Davey Smith G, Lynch JW. A systematic review and meta-analysis of effects of early life non-cognitive skills on academic, psychosocial, cognitive and health outcomes. Nat Hum Behav. 2018

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取材・構成/髙田翔子
photographer: Amiri Kawabe