乳がん手術から12日後、梅宮アンナさんの心境は
自らの乳がんの体験を日々発信している梅宮アンナさん。2024年11月に右胸の全摘手術を受けて退院し、今も治療を続けています。手術から12日後、退院から5日目のアンナさんを訪ねると、明るい笑顔で迎えてくださいました。
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梅宮アンナさんprofile
JJ、CLASSY.、VERYのカバーモデルを務め、TV、CM、洋服のプロデュースなどで幅広く活躍。父は俳優の故梅宮辰夫さん。母は元モデルでアメリカ人の梅宮クラウディアさん。’02年に女児を出産。インスタグラム https://www.instagram.com/annaumemiya
2匹の愛犬はアンナさんの癒し。「最初に入院したときには、本当に恋しくて。切除手術のときは、病室に写真を持ち込みました」。
誰かにちょっとでもホッとしてほしい。そんな思いで 発信を続けています
胸の喪失感はまったくないです。乳房再建も、リスクを考え、しないつもりです。それより、今は、痛みのほうが問題で。昨日病院で体液を抜いてもらったんですが、脇から右腕にかけて痺れて感覚がなくて、太い注射針を刺しても感じないほど。付き添ってくれた娘が驚いていました。先日、痛くて泣いている動画をアップしたら、批判のコメントが来てしまって。でも、私も泣くし、痛いと伝えるのも意味があるんじゃないかな。というのも、乳がんの手術は痛くないと聞いていたので、術後、どうしてこんなに痛いのか、これは私だけなのか、とすごく不安だったんです。同じ病気でも、症状も治療も感じ方も千差万別。だから、痛い人もいると言うことで、誰かが安心するかも。それと、退院時に困ったのが片胸用の大きいカップのブラジャーがないこと。術後用ブラでも、傷に触れて痛いので困っています。こうして声をあげることで、情報が得られるかもしれないし、見つけたらSNSでシェアしたいです。
手術を終えて、治療法も薬もない病気もある中で治療を受けられて、本当にありがたいと思っています。がんになって、生き方が変わりました。がんが生活を正してくれた。ちゃらんぽらんではいられない。人のためになること、いいことをしたいと思うようになり、つまらないことでふさぎこまなくなりました。また、右手が思うように動かせない状況になって初めて、いかに病気とか障害とかのことを知らずに、これまでふるまってきたのかと。人の優しさに触れ、困っている人や弱っている人には、こんなふうに接しようとか、こっちから声をかけよう、とか、わかるようになりました。人生で残された時間を、誰と過ごすべきかも明確になりました。
今思うと、がんを公表し発信しているのは、父・梅宮辰夫が、30代からがんサバイバーとして、講演活動をしていた姿を、ずっと見てきたのが大きいのかもしれません。まだ小学生でしたが、父は人のためになるいいことをしている、と感じていたのを思い出すんです。今、この病気だからできることがあると思うし、それをしたい。発信するのは、誰かにホッとしてもらうためです。タレントは人を喜ばせるのが仕事です。そういう意味で、今、仕事を全うしていると言えるのかもしれない。
まだ治療はこの先も続きます。様子をお知らせすることで誰かの役に立てたらうれしいです。
<編集後記>アンナさんの発信は多くの人の希望になってる!
何を聞いても全部答えてくれたアンナさん。強くてまっすぐな方でした。治療法も自分で決めてぶれないし、発信も信念を持って行っています。インスタを見ると、術前術後の様子まで公開していて、思い切りのよさは感動もの。患者さんにも、身近に患者がいる人にとっても、有益な情報満載です。「誰かの役に立ちたい」気持ちが溢れてると感じました。(ライター 秋元恵美)
撮影/下村一喜 ヘア・メーク/黒田啓蔵(Kスリー) スタイリスト/竹村はま子 取材/秋元恵美 衣装/梅宮さん私物 ※情報は2025年2月号掲載時のものです。
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