【梅宮アンナさん】出会いから10日で電撃結婚「焦りや勢いではなく、今を丁寧に生きるという想いから生まれた覚悟です」

2024年8月13日、梅宮アンナさんは乳がん(浸潤性小葉がん)ステージ3Aを公表。11月には右胸の全摘手術、年明けには抗がん剤治療、そして4月には放射線治療を終え、いわゆる「三大治療」をすべて乗り越えました。

そんな大きな節目を経て、いよいよこれから新たな人生を歩み出そうとしていた矢先、“運命”のような出逢いが訪れます。アンナさんは、「この人と一緒に生きていきたい」と強く感じ、出逢いからわずか10日で結婚を決意。その背景には、“知り合ってからの時間の長さ”よりも、“いま、この瞬間をどう生きるか”を大切にする、揺るぎない想いがありました。

がんという大きな試練を通して見つけた“生き方”と“向き合い方”。心を動かした出会い、そして決断に至るまでの心の軌跡をアンナさんに伺いました。

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運命を感じた10日間──「この人だ」と直観した理由

──彼からの「結婚してください」のひと言が、すべてでした。
私は、結婚は男の人が「この人と結婚したい、一緒に生きていきたい」って思うことが、すべてだと思います。女の人がいくら「結婚したい」って願っても、それだけじゃ実現しない。私はこれまでの経験から、そう実感していました。出逢って3回目で「結婚を前提に付き合ってください」って言われたんです。もう、その言葉だけで十分でした。びっくりしたけど、即答で「はい」って。だって、私が一番欲しかった言葉だから。そして10日後に結婚をすることに。

これまでいろんな出会いがあったけど、年齢を重ねるごとに、会うこと自体が難しくなっていて。「マッチングアプリやってみようかな」「まこちゃん(現マネージャー)と結婚相談所、行ってみようか」って、本気で考えたこともあっりましたよ(笑)。
そして病気になってからは、将来のことをより現実的に考えるようになっていました。病院の駐車場で、付き添いで来ている夫婦を見かけるたびに、誰か寄り添ってくれる人がいるっていいなぁ…と思っていたし、もし私にも旦那さんができて「どこに行きたい?」と聞かれたら、旅行とかディズニーランドとかではなく「私の病院に一緒に付き添ってほしい」って言うんだろうなと思っていました。

──インスタから始まった“ファン心”と、お互いの第一印象のギャップ
友人から彼のことを紹介してもらいました。彼のインスタを見せてもらった瞬間、「あ、好きかも」って思っちゃったんです。彼のやっているアートディレクターというお仕事がとても素敵だなと思って、まずファン心に近いものを感じて、この人に会ってみたいって強く思ったのが、はじめての好意でした。
初対面は5月14日、場所は都内の五つ星ラグジュアリーホテル。私はなんでそんなかっこいい場所なの?って、少し引いちゃったけど(笑)、「はじめまして。梅宮アンナです」って私が頭を下げたら、よっちゃんはすごく意外だったみたい。よっちゃんも私のことを「パーティ好きの上から目線の不機嫌女」みたいなイメージを描いていたみたいなので、その瞬間、「この人、想像してた人と違う」って思ったそうです。

──付き合う決め手は、「髪を切ったら付き合ってくれますか?」のひと言でした
人って、いろんな恋のはじまり方があると思うんです。会った瞬間に「この人、いいかも」と感じる人もいれば、何度も会ううちに少しずつ惹かれていくこともある。だけど、よっちゃんの場合は、前者なんですよね。はじめに会ったとき、見たとき、話したとき――その全部で、もう出会ったその日に“結婚”を決めていたような気がします。
運命の出会いの日、「髪を短くしたほうが、絶対似合うと思うよ」って、何気なく言ったんです。すると彼が、すかさずこう返してきました。

「じゃあ、髪を切ったら付き合ってくれますか?」

もう、その瞬間に「うん!」って、即答していました。正直、そのひと言を言われた時点で、私の中ではすでに“この人と付き合いたい”っていう気持ちは固まっていたんです。何より、彼の言葉にはいやらしさがなくて。ストレートなのに、まったく重くない。まるで海外の人みたいな感覚で、さらっとしていて、だけどちゃんと誠実さもある。日本人の男性とは少し違う、そんな軽やかでフラットな表現が、私にはとても心地よかったんです。実際、よっちゃんは海外で暮らしていた経験があって、そういう感覚を自然に身につけている人なんですよね。日本人だけど、どこか感性が違う。そういう日本人じゃない感覚に、私は昔からずっと憧れてしまうんです。

「痛みを知る者同士」が育んだ、深い絆

──はじめての「共通点」は、病気のことでした
出会った翌日。前日だけでは話し足りなくて、ふたりで改めてご飯を食べに行きました。その時、自分の病気の話とか、よっちゃんの病気の話とか。飲んでる薬一緒だねとか、そういうことでで盛り上がるって良いなーって。もちろん健常な人と一緒にいる安心感もあるけれど、やっぱり病気を経験している者同士だからこそ分かり合えることもある。でも今の私にはよっちゃんとの時間はすごく心地よかったんです。

──シニア婚…というより、「支え合い婚」かもしれません
よっちゃんが脳梗塞を経験していたと聞いたとき、私は全く驚かなかったんです。それはきっと、私自身が病気と向き合ってきたから。「右手が少し不自由で、ペットボトルのキャップが開けられない」と言われても、私の中では「あ、じゃあ私が開ければいいね」って、それだけのことでした。でも実際には、そうやって自然に受け止められる人って、世の中にそれほど多くないのかもしれません。病気の話を聞いた瞬間に、そっと距離を取ってしまう人がいるのも、残念だけど現実としてあると思っています。よっちゃんは、大病を抱えていました。

それでも私は、一緒にいたいと思ったんです。うちの父も糖尿病でしたし、病気のリアルさや、それが一度かかると治らないものであることも、身をもって知っていました。だからこそ、ただ寄り添いたいと思いました。何かあったときに、連絡を受ける立場でいたい。そう、自然に思えたんです。よっちゃんとの結婚を決めたのは、支えてもらいたいからじゃない。私自身も“支える側になりたい”と思えたからこそでした。「パートナーでいいじゃない?」という言葉。私、それが本当に一番嫌いなんですよね。だって、逃げ道になってしまうから。結婚していなければ、たとえ彼がどこかで倒れても、私には病院からの連絡は来ない。でも私は、その“連絡を受ける人”になりたかった。「ご主人が倒れました」と言われて、まっ先に駆けつける存在でいたかったんです。家族じゃなければ、病院にも入れてもらえない、その現実も知っていたから。
だから私は、何かをしてほしいとか、何かを買ってほしいとか、そんなことは求めてはいなくて。ただ、「よっちゃんが、そばにいてくれたらそれでいい」。そう、はっきり言いました。お互いが、それぞれの“痛み”を抱えながらも、そばにいたいと思えた。だからこそ、私たちは「支え合い婚」。病気を経験をしたからこそ出会えたのかなと思っています。

“電撃婚”の事実──時間よりも「質」を選んだ理由

──「不安」よりも、「この人と生きたい」が勝った
“電撃婚”って言われるし、自覚もあるのですが、実はそこまで突飛なことをしているつもりはないんですよね。たしかにスピード感はあったと思います。でも、私にとっては“時間の長さ”よりも“その時間をどう過ごせたか”のほうがずっと大切でした。出会ってわずか10日で結婚。驚くほど早い決断のようにも見えますが、それはいろんな人生経験を重ねた今だからこそできた“確信”だった。

お互い病気を経験している者同士だからか、1年1年が本当に愛おしくて。だからこそ、限りある時間を、できるだけ悔いなく、楽しく過ごしていきたいという思いがすごく強かったんです。だったら、いろんなことを話し合いながら、喧嘩も笑いも全部ひっくるめて、生活を重ねていけばいい。そんなふうに自然と思えたんですよね。

時間をかければ安心かというと、必ずしもそうではないと思うんです。むしろ、一緒にいる時間の“質”の方が、その人の本質が見えてくることってあるんですよね
人生において“確実な未来”なんてない。だからこそ、“今この瞬間”を誰とどう過ごすかが大切。スピード婚は、焦りや勢いではなく、今を丁寧に生きるという想いから生まれた、覚悟ある決断でした。

アンナさん衣装:私物
撮影/中田陽子 取材・文/日野珠希

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