PTA会長も受験もドンとこい!宮川一朗太さん(59)離婚後の子育ては「辛いときこそ笑顔で」

STORY8月号では、パートナーを亡くした女性たちの与えられた『使命』について特集しましたが、今回お話を伺う宮川一朗太さんも、2年前に別れた元・奥様を亡くされたばかり。子どもたちの願いから、周囲に離婚を知られぬようシングルファーザーとして奮闘しつつも、PTA会長を歴任され、お嬢さんの中学受験合格に導く手腕まで!最強のシングルファーザーでもある宮川さんに、子育ての思い出を語っていただきました。
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離婚、シングルファーザー、そして元妻の看取り… 宮川一朗太さん(59)パートナーから与えられた使命とは
宮川一朗太さんprofile
東京都出身。16歳の時に『家族ゲーム』のオーディションに合格し主演デビュー。日本アカデミー賞優秀新人賞を受賞。以後、NHK大河ドラマをはじめ多くの人気ドラマ、映画を中心に活躍中。また、声優としても名を馳せる。趣味は競馬、ゴルフ、茶道、クイズ。イクメンとしても有名で、娘2人をシングルファーザーとして育て上げ、PTA会長を3年間務めた経験もある。
心掛けてきたのは会話を大事にすること
小さいときから、寝るときに子どもの真ん中に僕が寝て必ず読み聞かせをしていました。厳密にいうと、本ではないので読み聞かせではないか。僕がオリジナルストーリーを作って娘2人に話していたんです。2人のちっちゃな女の子が旅をするとか、違う世界にいっちゃうとか、いろんな国にいっちゃう話を。野菜の国とか動物の国とか、子どもたち2人を主人公にして、それを語っているうちに2人が寝るみたいなね。まあときどき僕の方が先に寝ちゃう時もあって娘たちに「パパ寝てたよ」なんて指摘されたこともあったけれど(笑)。そういう話を聞かせることで、その中での会話や、お話の大切さを自然と身につけてくれたらなぁなんて思っていました。長女は本を読むのが好きになってくれたのでそのおかげもあったのかな?大人になって誰かと話をするにしても、自分の言いたいことを表現するにしても、そういう組み立てって大事ですから、娘たちにはちゃんと伝えられたと思います。あぁ、今思うと、子どもたちとは会話を大切にしていたのに、なぜ元妻とはそういうのちゃんとしてなかったのか…。
小6の夏から!? 娘の中受に全力参戦

小6の夏休みに、急に受験すると長女が言い出して大慌て!「地元の公立中学でいいって言ってたからパパもそのつもりだったぞ」と。長女の意志は固いけれども、塾や模試も今から何もせず受けるのはとても無理。長女に「本気なのか?」と聞いたら「本気」だと。「わかった、じゃあパパが教える」と僕が家庭教師になりました。実は僕は小学生の頃神童と呼ばれ、受験戦争を勝ち抜いて御三家と呼ばれる学校に入った経験の持ち主。僕の持論はとにかく中学受験は国語!全ての教科に読み解く力が必要だと思っていて、娘は本好きで、読解力があったのは幸いでした。すごいスパルタだったけれど、長女が第一志望の中学に入れたことは本当に嬉しかったですね。だからこそ、逆に中学入ってから長女が反抗期に入った時はとんでもなくショックを受けました。どんな思いでやってきたと思ってるんだ…と切なかったです。
下着を一緒に洗ってキレられる…父とは(涙)
一時的な別居はあったものの、娘たちが中学生の時に離婚。その後娘たちの希望もあり、周囲には知らせずシングルファーザーとして奮闘しました。娘たちの多感な時期とも重なって大変でしたねー。会話なんてないし言葉もままならず「あ」とか「う」とか返事があればまだいい方。僕は、洗濯物を洗って怒られるなんてドラマの中だけの話だと思っていたけれど、一緒の洗濯機で下着を洗ったのを見て烈火の如く怒られました。泣いて抗議されて…「お父さんも泣きたいよ」って。いつからこんなに嫌われる存在になったんだ?って。
世の中のお母さんってすごい!尊敬しかない
あの頃は仕事を終えるとすぐにスーパーに寄って買い物袋を下げながら、近所の人に離婚したとバレないように演技して…(笑)中学まではお弁当も作ってましたね。朝飯に弁当、晩飯と、毎日無我夢中にこなしました。本当に世の中の主婦の皆さんってすごいなーと思いましたよ。晩飯を3人で囲む時には娘たちの批評が結構厳しくて「ママの方が美味しかった。ママより味が濃い」とかいわれちゃう。でもときどき「まあまあだね」っていわれるのが最高の褒め言葉でちょっと嬉しくもなったり。母親の話は特に制限することもなく、別れたっていうことで一つの区切りなので、その先は自由にしてもらっていいと言っていました。「ママと買い物してくる」なんてこともありましたから。女の子ならではの悩みには流石に相談に乗れないので、そういうときに話してもらったり、頼ったりすることもありましたね。
辛くてもとにかく笑っていよう…それだけは忘れずに

辛いことも大変なことも、もう言い尽くせないほどありました。でもそういうときほど笑っていよう笑っていないといけないと決めていました。僕ね、私生活でも仕事でもどん詰まりになって「どうするんだこれ」っていうような時期があったんです。僕らの仕事って山あり谷ありだけれど、谷ってもう底がないんですよ、底が見えないくらい谷底にいて、30代初めとか若い頃って、どうしてもそれをマネージャーとか人のせいにしちゃう。で、あるとき「あ、違う俺だ」って、自分を磨くことにをサボっていたことに気づいたんです。そんな人間売り込む方だって大変じゃないかと。日々大変でも自分を磨いて、いつ出番が来てもいいように、呼ばれてもいいようにって、準備しておこうと思ったら、常に笑顔でいようと思うようになったんです。辛いときこそ笑おうって。そう心がけたらいい感じに上向いてきたんですよね。だから離婚のときも辛い状況だったけれど、やっぱり笑顔でいました。一番大きかったのは1人じゃなかったことですね。子どもたちがいたので…、少なくとも子どもたちに笑ってもらって、「幸せだよ」って言ってくれる言葉を聞ければと、そのために強くなれたようにも思います。
「ありがとう」が全てだった
娘たちが高校、大学を卒業したときに、ゴールテープを切ったような充実感や達成感を感じました。「はあ、やっとか」と。ただ次女に彼ができて家を出ちゃった時は寂しかったかな。その次女が入籍する前の日に、ものすごい長文のLINEを送ってきたんです。泣いて途中から読めなくなっちゃったんですけれど、“パパが大変だったのを横でずっと見てきた…”“パパの娘で幸せだった”と書いてあって、そこでもう僕は全てが報われたという気持ちになりました。この20年っていう長い年月を振り返って、この「ありがとう」って言ってくれたことが全てでしたね。余談ですが、元妻を我が家で看取った後、長女が妻の携帯に未送信の僕へメッセージが残されていると教えてくれ、送ってくれました。おそらく僕が病院に見舞いに行った後だったか『きてくれてありがとう、嬉しかった』と。なんだかんだあったけれど、巡り巡って、笑い合える今があるんだな…。込み上げるものがありましたね。
衣装協力:ジャケット¥295,900、Tシャツ¥42,900、パンツ¥75,900、スニーカー¥130.900(すべて イレブンティ/三喜商事)
撮影/堺優史 ヘアメーク/後藤満紀子 スタイリスト/森本美砂子 取材/竹永久美子