「恋愛すること自体が特権的になった」カツセマサヒコさんが語る、“モテ”トレンドの変化

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2021年5月号から3年間、CLASSY.本誌で連載していたカツセマサヒコさんのエッセイ『それでもモテたいのだ』がこのたびタイトル改変して書籍化、2025年10月22日に発売されます! 初回掲載から4年以上が経過し、時代の移り変わりとともにカツセさんご自身の価値観にも大きな変化がありました。この記事は後編です。

改めて…カツセマサヒコさんってこんな人!

小説家。1986年、東京生まれ。大手印刷会社、編集プロダクション勤務を経て2017年ライターとして独立。X(旧twitter)でのポストが絶大な人気を博し、コラム執筆などで活躍。2020年、『明け方の若者たち』(幻冬舎)で小説家デビュー。近著に『ブルーマリッジ』(新潮社)『わたしたちは、海』(光文社)など。週刊SPA!(扶桑社)でエッセイ連載中。

――この数年で、恋愛や「モテ」をめぐる価値観が大きく変わりましたが、カツセさんはこの変化をどう捉えていますか?

この5年くらいで、恋愛をすること自体が特権的で、誰もが求めてるものではないことが共通認識になりましたよね。連載を始めた時、すでにモテのトレンドが絶滅に向かってる最中というか「もうそうじゃないよね」の空気はあったんですけど、だからこそ“それでもモテたいのだ”というタイトルにしたのを覚えています。

でも人の感情は揺らぎの中にあるもので、世間の価値観がどれだけ変化していっても、それに当てはまる人と当てはまらない人がいます。これだけモテの話が時代に合わなくなっていても、どこかの大学のサークルでは、サークル内恋愛で毎日盛り上がっていると思うんです。モテたいと願う感情自体は、自分を雑に扱わない限りはまったく悪くないわけだし、まず自分の生活があって、その上でどう好かれたいかを考えるのは健康的なこと。だから、時代の大きな流れに合わせて自分の価値観や書くものを選び取ることはしない方がいいなと感じています。

――ご自身が書いてきたコラムや作品を振り返るとどうですか?

自分が成熟していく中で気づくしかできないですけど、今となっては作品の加害性みたいなものはあったし、今後も意図せぬ形でそういうものを生んでしまう可能性はあると思います。ウェブライター時代に書いたものは本当にひどかったと内省もしています。当時の作品を喜んでくれる人はいたし、数字も取れていたから今があるんですけど、そのぶん傷ついた人もきっとたくさんいただろうと思います。それは過ちとして、まっすぐに受け入れていくしかないです。

ただ、これだけ価値観の移り変わりが早い時代だからこそ、作品を残すことに意味があるとも思っています。あとから読んだら「当時みんなMBTI診断やってたよね」とか懐かしんでもらえるじゃないですか。「こんなの今だけじゃん」と言われたとしても、その“今だけ”が未来に意味を残す。だから、いつか変わりゆく価値観に臆する必要はないだろうと思うんです。

それから、時代がどれだけ移り変わっても普遍的な感情は存在していますから、その強度を信じて書くことも大事にしています。大ヒット作は、どこかに時代を超える普遍性がないと生まれてこないわけですから。

時代は変わる/でも普遍的なものもある…。この2つの軸は、ずっと自分の中に残し続けていきたいです。

――カツセさんといえばやっぱりX(旧Twitter)での発信も記憶に残ってる人も多いと思いますが、今のSNSとの付き合い方はどうですか。

あれも自分のことを書いているエッセイ風ではあったにせよ、公開している以上は誰かに見られている意識が働いていたので、偶像の自分を作っていたし、その偶像に読者がついてくれた距離感はなんだかちょうどよかったし、今もそう思います。

今、なぜか差し入れやプレゼントでコーヒー豆をいただくことが多いんですよ。最近になって気づいたんですけど、俺は豆を挽いて、丁寧にコーヒーを淹れて、味わって飲んでいるイメージがあるようで…。でも、そんなことほとんどやったことがないんです(笑)。コーヒーの味はまったくわかんないから最安値のインスタントコーヒーでいいし、ボタン押したら出てくる自販のコーヒーで全然OKで、現実とイメージにギャップがあるんだろうなと思います。SNSアカウントを運営していると、ときどきそういうズレが起きるんですよね。だから、自分がどう足掻いても予想だにしない見られ方をすることは頭に入れておきたいし、どう見られているのか把握しておきたい、というのは「それでもモテたいのだ」かもしれないです(笑)。

――作家になる以前のお話を。作家になる前はライターで、しかもはじめた頃は印刷会社の会社員として働きながらだったんですよね。

そうです。ライターになるさらに前は、会社に副業禁止のルールがあったのに、脱出ゲームの司会をやっていました。平日は会社員、土日は司会者。結婚してまだ間もなかったのに、2カ月間1日も休みがなくて、さすがに妻に悪くて辞めましたけど、その時に“平日と違う自分”を見てしまった。土日の自分があまりにまぶしくて、楽しくて、もう現実に嘘をつけなくなりました。その感覚がライターの世界に飛び込むきっかけになって、印刷会社を辞めて、編集プロダクションに転職して、その延長に今があります。

――CLASSY.読者世代だと、まだ本当にやりたいことを探している最中の人が多くいます。どんな行動をしていけばいいと思いますか?

これを読んでくださっている方の中にも、同じように“自分の違う顔”を知っている人がいるんじゃないかと思います。その自分が好きなら、思い切ってそっちに飛び込んでみると、人生がきっと楽しくなります。突然飛び込みきらずとも、副業でも趣味でも、スモールスタートでいい。ひとつの場所だけで完結しないほうが、人間としての表情が豊かになると思うんです。やっぱり違ったなと思えば、もとに戻ればいいし。

僕は今40歳手前ですけど、村上春樹さんが提唱する「30歳成人説」が今すごく腑に落ちていて。成人(ここでいう成人は30歳)するまではいくらでも好きなことをしていていい期間だと思うし、それまでに得意不得意を見極めて、向いている仕事に出合うように生きればいいのだと思います。今これを20代の方が読んでくれているのであれば、今はお試し期間だから全部やってみればいいって思うし、30代だって成人したてだからまだまだ大丈夫だと思います。

――「やっぱり違ったからもとに戻ろう」という選択を持ってもいいんですよね。

そうです。よく、「夢だったからチャレンジしたけど、やっぱりなんか違くて、転職後悔してます」と連絡をもらうのですが、それってもう、夢を叶えたからそこにいる必要はないということだと思うんです。別の夢を探して、またそれに向けて歩けばいいだけです。だからこそ、夢って、遠くに置いたほうが長く楽しめるなとは思います。

――カツセさんの今の夢はなんですか。

一番遠くに置いている夢は、小説家として、ある文学賞を取ることです。文学賞の中でもいくつかこれが欲しい、と思うものはあるんですけど、親が生きてるうちに一つは受賞して、安心させてあげたいと思っています。

『あのときマカロンさえ買わなければ』(光文社)
2021年から2024年にかけてCLASSY.で連載されていた『それでもモテたいのだ』が待望の書籍化!都会的で悲観的、不器用でまっすぐな40の瞬間。カツセマサヒコさん初のエッセイ集。『ベスト・エッセイ2024』に選出された”「行けたら行く」で、本当に行く人”収録。

2025年10月22日発売。価格:1,540円(税込)
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撮影/前 千菜美(光文社クリエイティブ) 取材/野田春香 構成/越知恭子