若い人ともお見合いをしてきた夫が、40代の私を選んでくれた理由とは

40代で結婚したり、再婚したりするのは、ものすごいラッキーか、20代に負けないほどの美貌の持ち主だけだと思っていませんか。しかしながら、今月の稻崎さんのお話を聞いていると、そんなに特別なことではない気がしてきました。41歳で初めての結婚に至るまでの、正直で素直なお話を聞いてみましょう。

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「40代のお見合い初婚」物語

◯ 話してくれたのは...山崎詩子さん(仮名)

静岡県生まれ。短大卒業後、21歳で海外留学。帰国後、販売会社に勤務。41歳で結婚。その後長男出産。明るく前向きで、何事においても心配しない性格。

夫 東京都生まれ。大学卒業後、一級建築士として設計事務所に勤務し、美術館・市役所計画に携わる。穏やかで真面目。食べること・マラソンが趣味。

41歳でお見合い結婚、42歳で妊娠、43歳で出産。思い描いていた幸せは、人より10年遅れてやってきた私。まさに理想通りの夫と5カ月になる長男の家族3人、ありがたいほど毎日楽しく暮らしています。

そもそも短大卒業後は、オーストラリアのワーキングホリデーの制度を使って1年間留学。そのとき『マーフィーの成功法則』を飛行機で読みながら飛び立ったのですが、この本の根幹である「具体的なイメージになったものは必ず現実化する」という法則に納得し、その後その言葉がことあるごとに人生の教訓となっていきました。

オーストラリアで語学学校に通った後は、かねてからの夢だった女優の仕事をはじめ、CMなどのオーデションを受けながら、ランドローバーなどのCMにも出演。気候と人の気質が肌に合い、有意義な1年間を過ごしました。

帰国後は美容器具を販売する会社で、美容に携わる仕事に就きました。やがて23歳のときに同級生の彼と交際がスタート。とにかく彼と一緒にいると楽しくて、時間を経るごとになくてはならない存在になっていったのです。彼のことが大好きでした。

しかし結婚となるとどうしても気になることがあったのです。彼の両親は離婚し、お父様はその後再婚、相手の連れ子さん3人と一緒に生活するという複雑な家庭環境。仲の良い両親に育てられた私は、何か違うなという違和感を捨てきれず、まだ20代で若かったこともあって、お互い結婚という話が出ないまま交際を続けていました。気が付くと7年間が経ち、お互い30歳に

もう兄弟姉妹のような関係で、毎日楽しかったのですが、ある日突然彼にふられてしまったのです。私の言ったひと言にかちんときたというのが表向きの理由でしたが、後から思うと、別れた後すぐに彼は結婚したので、すでにその頃結婚する人と出会っていたのだと思います。これは辛かったですね。

毎日毎日泣いて過ごしました。結婚していたわけじゃないのに、まるで離婚したみたいな感覚で、突然会えなくなって、会いたくて会いたくてしょうがないんです。両親も彼のことはよく知っていたので、母が彼に説得に行くほどでした。

辛い日々が半年続いた頃、知人に「縁は自分から切るより、切られた方がいいのよ。よかったわね。これからは人の幸せを願って暮らしましょう」と言われて開眼。泣いてばかりいたら幸せは逃げていく、笑って暮らそうと思い直し、少しずつ元気を取り戻していったのです。

そもそも明るく能天気な私。人生は楽しい方がいいから、楽しいことをやって過ごそうをモットーに、友達を家に呼んで冷えたワインと美味しい料理でわいわい騒いだり、海外旅行に行ったり、動物に癒されたり……30代は思いきり働いて、思いきり遊びました。

結婚というより、良きパートナーを見つけるために何度か婚活パーティにも参加しましたが、どれもつまらない企画ばかりで、それなら自分で企画しようと、総勢100人のパーティを主宰したことも。それと同時に友人の結婚・出産もラッシュに。

でも嫉妬どころか、心からみんなの幸せを願って、祝福をしました。あとは美容にも熱心で、ふられたときに私は宝石も時計も何も持ってないけれど、美肌がある。素肌磨きも続けようと、以来日々のお手入れも一生懸命続けていました。

しかし、友達はいくらでもできるけど彼となると縁がなく30代を過ごし、40歳になった途端に、年上の知人のおばさまたちから「詩ちゃんに紹介したい人がいるの」と、同時に3カ所からお見合いの話が来たのです。3人とも会ってみようと思いました。今の結婚相談所の感覚ではなく、紹介者がいて、どの方も昔ながらの釣書を交わすという方式で、3名から届きました。それぞれ、将来実家の会社を継ぐ人、会社員、そして一級建築士。1人の方につき、3回は会おうと計画しました。同時に三人を比べることができたことは、すごく贅沢でありがたかったと思います。

今思うと、40歳の私に、お見合い話が来るなんてとても不思議。でもおばさま方から、「詩ちゃん、良い子だから」とか「輝いているもの」と言ってくださり、日々イキイキと過ごしていたことが何かしら輝きを放ち、決してマイナスにはなっていなかったようなのです。

一級建築士の夫とは10月に会いました。4歳年上で一流大学卒業後、大手建設会社勤務、ご実家もしっかりしていて、前の彼との経験があるだけに、好きになっても安心だなと思いました。

それに最初のデートが新宿のホテルの懐石料理店。まず気分が上がりましたが、セレクトするメニューや飲み物、「食事のマ」みたいなものがぴったりなんです。もともと期待もしていなかったのであるがままの私を見せようと、ビールにお酒にどんどん飲んで盛り上がりました。

実は35歳のときに、あの『マーフィーの成功法則』通り、理想の男性10カ条をメモしていたんです。心身ともに健康、家族関係が良い、精神的経済的に豊かで自立している、料理ができてお酒が飲める、自由を尊重、相手の仕事を尊重、友達が多い、家族を大切にする、O型の中で、血液型以外は夫は見事に当てはまっていました。そのうえ初婚。両親も優しい方。よくこんな人が残っていたなと正直思いました。

会えば会うほどぴったりで大好きになっていきました。会う前は、私とうまくいかなかったら友人に紹介しようと思っていたところ、ありがたいことにその年の12月に夫からプロポーズ。とんとん拍子に話が進み、結婚しました。

後から聞くと、夫はお見合い用の私の写真を見たとき全然タイプじゃなかったそう。すごくおばさんに見えたって言うんです。その写真って、カサブランカの花の前ですごく綺麗に撮れたと思って渡した写真だったんですけどね(笑)。

夫はそれまで20〜30代の女性と婚活することが多かったらしく、正直私には気が進まなかったそうです。間に入ってくれた方に「いい子だから」と強く勧められ、仕方なく来たそうなんです。会うと写真とは印象が違って、ピンとくるものがあったと言われました。年齢じゃないんだなと実感しました。

ただ子供に関しては女性は年齢が大きく左右します。特に私は「多囊胞性卵巣症候群」という病気もやり、生理不順もあったので、妊娠しにくいと思っていました。それも包み隠さず話したところ、子供はできてもできなくてもいい、どっちでも幸せだよと言ってくれて、自然に任せることにしたのです。

そして去年のちょうど今頃、一緒に山梨県のハーフマラソンに参加して完走。その後飲んだビールがおいしくないなあと思ったら妊娠していました。もうびっくり。お産は子宮口が開かず、帝王切開ではありましたが、昨年12月に無事長男を出産しました。私たちは友人の存在がなくては出会えなかったし、友人はかけがえのない存在。この子も友人と交わり、友人を思い、友人を大切にするようにと願いを込めて、「友」と名付けました。

結局はいいご縁もいいニュースも人が運んできてくれるんです。心配したり憂いたりするよりも、その時を楽しく生きて、ワクワクして過ごしていると、ご縁というのは運ばれてきます。人生先よりも今。心配ご無用だと実感しています。

取材/安田真里 イラスト/あずみ虫  ※情報は2016年掲載時のものです。

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