【増田惠子さん】エレガントに生きるヒントは…再確認した“ファンとの絆”と『ピンク・レディー』の力

来年、結成50周年を迎えるピンク・レディー 増田惠子さん。大好きな白いバラに人生を重ね合わせ、エレガントに生きることを心がけているそう。増田惠子さんの凛とした佇まいは、まさに白薔薇のように美しく高貴です。

◆増田惠子さんインタビューはこちらもCheck!

「44歳で結婚した夫のおかげで明るく前向きに」 【ピンク・レディー増田惠子さん】今も続けるルーティン

エレガントさは心持ちから。自分も人も大切に

お話を伺ったのは… 増田惠子さん

《Profile》
1957年静岡県生まれ。’76年ピンク・レディーとして「ペッパー警部」でデビュー。’79年全米進出。解散後「すずめ」でソロ活動を開始し、俳優としても映画やドラマで活躍。
※9月2日(火)のコンサートは本人体調不良により、10月28日(火)に延期となりました。詳細はビルボードライブ横浜H Pをご確認ください。

来年はピンク・レディー結成50周年。45歳のとき、ピンク・レディーとして2年間限定で100カ所200回公演をしました。お話をいただいたときは、「懐かしい」で終わるならやりたくない。あれほど頑張っていた過去の自分たちを超えるステージになるのならやりたいと思いました。歌詞の理解度も表現力も経験値も若い頃とは違うので、そのすべてをつぎ込み全力を尽くしました。私たち2人がやりたくてやっているステージを観ていただこうと、ファンの方々への感謝を目いっぱい込めてパフォーマンスをしていたら、逆にみなさんから「ありがとう」と言っていただき、会場中が総立ちになって歌って踊ってくださったんです。こんな光景を見ることができるなんて、元気でよかった、生きていてよかったと本当に感激しました。

実は現役で活動していた当時、私たちはピンク・レディーがどういうものなのかをよくわかっていなかったんです。今振り返ると、ピンク・レディーであることの使命を受けて、この世に生まれてきたのかなと実感しています。

オーディション番組「スター誕生」でデビューしましたが、そこでプラカードを上げてくださったプロデューサーの相馬一比古さんが、どんなにミニスカートを穿き、セクシーな服を着ていても、いやらしく見えないのは、若さや一生懸命さもあるけれど、エレガントだからこそ。それがピンク・レディーの魅力だと仰ってくださいました。先日、ピンク・レディーの名付け親でもある作曲家の都倉俊一先生とお食事をしたら、「ケイは今のままでいいよ。エレガントに生きているから」と言ってくださって、嬉しかったですね。

エレガントに生きることは、常に意識しています。姿勢のよさなど外見的なことも影響すると思いますが、大切なのは心持ち。優しさ、温かさ、気高さ、透明感は誰でも持つことができます。それが、自分も人も大切にすることに繋がっていくのだと思います。自分の幸せは自分だけの幸せということはありえなくて、自分も自分の周りも幸せでないと幸せって言えないもの。

若いころは完璧主義で自分にすっごく厳しくて、人にも厳しいところがありました。30代以降は徐々に人への厳しさはやわらぎましたが、自分への厳しさは今もまだ残っています。後悔したり、反省したり、悩み癖があったのですが、40代で夫に出会ってからはかなり改善。夫が天性の明るい人で、いつも笑顔。隣にそういう人がいると自ずと変わります。悩みそうになったら、いけないいけない、私の悪い癖だと意識するようになり、くよくよしがちな性格をすぐに切り替えられるようになっていきました。

凛とした白いバラに人生を重ね合わせています

ローズの香りが大好きです。気合いを入れるとき、人と会うときなどにつけると、背筋が伸びる感じがしてスイッチが入るんですよね。もともと香りは苦手でしたが、ファンの方から白いバラの花束をいただいたとき、1本でも部屋に飾るとそこはかとなく漂ういい香りが気に入って、ローズの香りだけつけるようになりました。それまでバラって、これ見よがしの感じがして、ちょっとなって思っていたのですが、白いバラは高貴なのに控えめで、凛とした感じがして、こんなふうに生きたいと思ったんです。それで家をリフォームしたとき、ガーデナーの方に選んでいただき、ベランダでバラを育て始めました。今では10種類くらいのバラが年3回咲き誇って、そのたびに友人を招いておもてなしをします。白が半分、薄いピンク、シャーベットピンク、シャーベットオレンジなど。どのバラも美しいですが、白バラは気高く、「私を見なさい。私のように生きていれば大丈夫」と言っているようで、私もそんなふうに生きていければいいなあと思います。

特に枯れていく姿が何とも言えず美しい。オブジェみたいに見えるんですよね。それは自分が年を重ねたから感じることかもしれないけれど、美しく咲き誇り、透明感があったバラが、次第に枯れていく姿が最後まで美しく、人の人生と重ね合わせてしまいます。若さも美しいけれど、シワもシミもたるみもある年齢を経た美しさは何物にも代えがたいなと。

いつも笑顔を絶やさないで誰にでも同じように優しく接する人には憧れます。そういう方は美しさが滲み出ています。常にそうありたいですね。

40代のころの私

思いがけず44歳で結婚。本当に仲のいい夫婦でした。同時に「PINK LADY TYPHOON〜AGAIN〜ピンク・レディー メモリアル・コンサート-JAPAN TOUR 2003-」がスタート。2年間100カ所の公演は、ピンク・レディーであることを誇りに思うライブに。

増田さんが40代に伝えたいこと

そこはかとなく香りが漂ってくる白バラのように、あまり主張せず、透明感のある凛とした女性を目指しています。「白バラのようですね」は最高の褒め言葉。嬉しいですね。

《衣装クレジット》
コンビネゾン ¥68,200(アキコ オガワ)イヤリング、リング、バングル(すべてスタイリスト私物)靴(増田さん私物)

本記事は、美ST編集部が取材・編集しました。「美ST」は16年以上にわたり、40代&50代女性の美容とライフスタイルを追求してきた月刊美容誌です。

『美ST』2025年10月号掲載
撮影/中川真人(magNese) ヘア・メーク/高瀬央子 スタイリスト/おおさわ千春 取材/安田真里

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