石田さんチのお母さん、認知症の母と向き合った15年「介護って綺麗ごとじゃできない」

1997年から「石田さんチ」の愛称で親しまれてきたドキュメンタリー番組『7男2女11人の大家族石田さんチ』。リアルな家族ドラマに心を掴まれた人も多いはず。前回取材をしてから、2年半。千惠子さんと再会し、玄関での第一声が「前のときはまだ60代だったのよね~」と。お会いするたびにファンになります。今回は2025年1月に亡くなったみさ子おばあちゃん(千惠子さんの母)のことを取材しました。「正直、限界だった」と呟く千惠子さん。認知症のお母さんと同居して過ごした日々や、当時の介護についての想いを語っていただきました。(4回中3回目)

みさ子さんが「早く死にたい」って言ったことがあったんです。なので私が「みさ子さん、絶対人は死ねるから大丈夫よ。でも今じゃないのよ。慌てないで」って言ったことがありました。そこから色々ありましたが、長生きしてくれて今年、2025年のはじめにみさ子さんは亡くなりました。92歳でした。

進んでいく母の認知症に15年向き合い続けました

みさ子さん(千惠子さんの母)が70歳前半のときに、「買い物へ行ってくる」と言って1人で出掛けて行ったんですけど、途中で電話がきて「私、何をしに出掛けたんだっけ?わからなくなっちゃった」って。前兆は2〜3年前からありましたけど、「あれ?」と思うことがその後も続いて、77歳のときにアルツハイマー型認知症と診断されました。そこから亡くなるまでの15年、認知症は進行していきました。心臓も悪かったので、定期的に病院へいくこともあり、デイサービスからは「もう脈が測れる状態ではありません」と電話がきて、迎えに行ったりもしました。

みさ子さんが腸閉塞で入院し退院後の2月の寒い日、寝る前にみさ子さんがトイレへ行って、私におやすみって言ったあとに「掛け布団が違うわ」って言い出すので、一枚ずつ掛け直してあげたんですよ。そしたら次は「寝る前にトイレにへ行かないと」って言うんです、さっき行ったばかりなのに。何回も「トイレ行ったかな?」って…。もう私も寝られないし、どうしたらいいかわからなくて。玄関の外に一緒に出て気分転換をしてみたりして、そのあとようやく寝てくれたこともありましたね。でも2回目は効果がなくて、身体を押さえこんで「みさ子さん、もう寝よう!」ってお布団に無理矢理入れたこともありました。一歩間違えたら首に手がいっていたかもと思うほど、追い詰められていた気がします。

ケアマネージャーから睡眠導入剤が体質に合わなかった話を聞き、もしかしてみさ子さんもあってないのかもと思ってやめたら、昼夜逆転も無くなって、トイレも自分で行って帰って来れるようになって、徐々に睡眠の部分は改善されたんです。ただ母の場合は2ヶ月ほどの服用だったので良かったようです。デイサービスのスタッフからは、驚異の復活と言われました(笑)。

「1人じゃもう無理…」介護って綺麗ごとじゃできないですよ

認知症の母の介護で途方にくれていたとき、助け舟をくれたのが、6男が高校生のときにPTAの役員をしていた方でした。その方は、ケアマネージャーをしているのですが「石田さん、おばあちゃんどうしてるー?」ってちょうどもう限界だなと思っていたタイミングで声をかけてくれたんです。状況をお話して、すぐ連れて行ってくれてお世話してくれました。

施設に実母を預けることに躊躇する人もいるかもしれないし、賛否あるかもしれないけど、私はこのとき1人じゃもうお世話は無理だって思っていたので、助けていただいて本当に助かりました。できないことはできないって自分を許してあげることも大切だと思います。預けてプロの方にお世話してもらうことは、悪いことではないですし、介護って綺麗事じゃできないですからね。本人にとっても家族にとってもその選択は正しかったと思っています。

うちの母が今の私の年齢で認知症が始まったので、私もそろそろかもしれないとドキドキしています(笑)。ただ、私はあと10年は生きないといけないんですよ。亀さんや猫ちゃん、犬の凛がうちにはいるからね。飼い主が先に死んじゃったら可哀想じゃない?美人薄命っていうから、心配だけど(笑)。

毎年デイサービスの方がくださる、みさ子さんの写真

「元気になってよかった」と話した翌日に、「息をしていません」の連絡が

2024年の12月初旬にみさ子さんがコロナに罹りました。母の希望としては延命治療や救命治療のために多くのチューブをつけられてしまうようなスパゲッティ症候群にはなりたくないとのことだったので、施設にも伝えていたんです。クリスマスくらいには施設の中でもコロナが流行ってしまって「何かあったら電話します」と施設の方には言われていましたが、年明けに連絡したら「みさ子さんはもうみんなと一緒にご飯を食べられるようにまで回復しましたよ」と。これは長生きするぞと思いましたね(笑)。そのあと1月7日にケアマネージャーから「元気になってよかったですね」と言われたのですが、8日に施設から電話がきて「みさ子さん、息をしていません」って。突然のことでしたが、急いで施設へ向かいました。

詳細を聞くと朝食はしっかり食べて、お昼ご飯は2口だけ食べて「もういらない」って言ったそうです。担当の男性スタッフが配膳を片付けて戻ってきたら、もう息をしていなかったと。そのスタッフはその後過呼吸で倒れてしまったみたいです。驚きましたー。

私の気持ちとしては苦しまずにスーッと眠るように亡くなってくれたらいいなと、願っていたところがあったので、よかったなと思っていますが、みさ子さんは食事をしてちょっと眠くなったから寝ようかな~って思って、目を瞑ったんだと思うんです。きっと死ぬつもりなかったのよねー(笑)。

今は「お母さん、おつかれさま」という気持ちが強くて、寂しいというより正直ホッとしています。92歳ですからね、もうよく生きてくれました!

今はお仏壇のお供えがあるから、1人暮らしですが毎日お米は炊いていますよ。1年くらいは頑張ろうかなーって思っています。1年がすぎたら「ごめーん!お母さん!」って謝ろうかな~(笑)。

撮影/西あかり 取材/小出真梨子

石田千惠子さんプロフィール

1954 年3月14日 茨城県東海村生まれ
1974 年 美容師資格取得後、美容師として活躍。
1979 年 同級生の晃さんと結婚。
1979 年 11 月長女を出産。
1997年に7 男 2 女のお母ちゃんとして日本テレビ『大家族の石田さんチ』で紹介され、日本一有名な大家族のお母さんに。末っ子の隼司さんは千惠子さんが41歳の時の子でした。今は夫の晃さんとは円満別居中で保護犬のりんちゃん、保護カメ(クサガメ)の石ちゃんと暮らしています。

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