妻の選んだセカンドキャリアを夫婦いっしょに|「マディソンブルー」中山まりこさん、地主晋さんインタビュー(前編)
40代を折り返し、あと数年で50代……。その先には、ぼんやり漠然とした不安がすぐそこに迫っているのだろうか。そう遠くない未来、自分とパートナーとの、『夫婦としての在り方』とは? にクローズアップ。幸せの法則、ハッピーでいられるコミュニケーション術など、円満な夫婦生活のヒントを、「マディソンブルー」の中山まりこさん、地主晋さんご夫婦に伺います。
中山まりこさん NAKAYAMA MARIKO
株式会社マディソンブルー 代表取締役/クリエイティブディレクター・デザイナー
1980年代より、日本とNYにて広告・雑誌・音楽のスタイリングを中心としたスタイリストとして活躍。2014年”HIGH CASUAL”をコンセプトに、自身のブランド「MADISONBLUE」をシャツ6型からスタート。2017年唯一の直営店である「MADISONBLUE表参道店」をオープン、2022年にはパリ・ボナパルトにてPOP UPストアも開催。オーセンティックでありながら、常にアップデートされた上質で心地よくディテールを極めた“ハイカジュアル”な服を生み出し、絶大な支持を集める。彼女の作り出す洋服はもちろん、発信する世界観や人生観にもファンが多い。
Instagram @marikoynakayama
地主 晋さん GINUSHI SHIN
株式会社マディソンブルー 取締役 / フォトグラファー
武蔵野美術大学造形学科卒業後、アシスタントやスタジオ勤務を経てAPAアワード(日本広告写真家協会)特別賞を受賞し、フォトグラファーとして独立。ファッション雑誌、ミュージック・ビデオ、広告ほか、幅広いフィールドで活躍。奥様の中山まりこさんが2014年に立ち上げた「マディソンブルー」に参画。
「いらっしゃい! どうぞ入って」。太陽のような大きな笑顔でご自宅に招き入れてくれたのは、「マディソンブルー」の代表でありクリエイティブディレクター・デザイナーの中山まりこさんと、副社長でカメラマンの地主晋さんご夫婦。
「マディソンブルー」は中山さんが長年のファッションスタイリストとしての経験と知見を活かして立ち上げ、オーセンティックながらカジュアルにもモードにもフィットする大人の上質感が絶大な人気を誇るブランドです。夫である地主さんはフォトグラファーとしての第一線で活躍してきたキャリアを持ちながらも、10年前のローンチ当初から副社長として「マディソンブルー」に参画し、妻の選んだ“セカンドキャリア”を支えてきました。
「よく、夫婦で同じ仕事ってどうなの? って聞かれるんですよ。仕事もプライベートもほぼ毎日いっしょにいますけど、全然飽きませんし、仕事の話をしていると面白いんです」と中山さん。スタイリストとしての仕事と子育てに追われている日々の中で、“大人になったら何になる?”とずっと考えていたという40代。49歳でブランドを始めると決めたときに、一番に話したのも夫の地主さんでした。
「ブランドの立ち上げを考えていることは、本人からずっと聞いていました。ある日、深夜にたたき起こされてシャツ6型から始めると彼女に宣言されたときは、『わかった!』と一言だけ。言ってすぐに寝ましたけどね」と地主さんは茶目っ気たっぷりに話しながらも、いちクリエイターとして中山さんをリスペクトしているといいます。
「私生活のパートナーでもあるんですが、男女という関係性というより同じ作り手としてとにかく彼女の仕事を見ていると面白い。心がザワザワするんですよ」と絶賛。一方、中山さんは夫である地主さんに「仕事に喜びを持っている人じゃないと、いっしょにいておもしろくないだろうなって思ってきました。仕事も人生の一部だと思っているので、仕事を楽しんでいてほしいと思っているんです」と、クリエイター夫婦らしいお互いの評。
もうすぐ60代という年齢になった中山さんと6歳年上の地主さんご夫婦の共通の話題は、お互いが独身時代から「仕事」だったといいます。お互いの仕事の相談もよくしてきたそう。でも、これまでにはもう一つ大きなキーワードがありました。それが、「子ども」。ともにクリエイターとして第一線で活躍していたさなか、妊娠をきっかけに結婚したお二人。続けて、第二子を授かったことで、仕事中心の生活が一変したと言います。
「実家の母やママ友など多くの人に助けてもらいながらも、夫婦の時間割をすり合わせて仕事をする本当にギリギリの毎日でした。特に上の子が生まれたときは、音楽の仕事が多かったんですが、アーティストのジャケットの撮影があるとそのままツアーまで仕事が続くんです。産後1か月目で、当時担当していたピチカートファイブのツアーが始まるからと、自宅に野宮真貴ちゃんにフィッティングにきてもらったことも。2人目が生まれたときは、生後1か月で免許を取りに行ってなんとか毎日を回せるようにして、生後6か月の頃には海外ロケに行ってました。子どもたちがぐずらず、よくやってくれたのがありがたかったなと思っています」と中山さん。
今でこそ当たり前の共働きも、20年以上も前の話。まだまだ周囲の理解は行き届かず、夫婦の“どちらが”ではなく“どちらも”でなくては回らなかったと言います。
でも、それがよかったと、お二人。
「子どもがいるときから家の中のことはイーブンにやってきているから、今も変わらないんです。家の中のtodoリストはお互いにあるんだけど、それが被らないので気にならないし、気づいたほうが家事もやっているので家の中が整ってるって感じで」と地主さん。
実は、当日取材陣にお茶を出してくれたのは、夫の地主さん。中山さんは、いつも気づいてやってくれるんですと目を細めます。ルールにしないのが、夫婦のルール。でも、気になることは本音でズバッと伝える。“よくしゃべる夫婦”を自負するお二人には、お互いが居心地よく暮らせる関係性が醸成されているのです。
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