小島慶子さん、いろんな役割がありすぎる40代こそ「何者でもない」旅に出てみよう!
エッセイスト、メディアパーソナリティの小島慶子さんによる揺らぐ40代たちへ「腹声(はらごえ)」出して送るエール。今回は「大人になってからの旅行」について。
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小島慶子さん

1972年生まれ。エッセイスト、メディアパーソナリティ。2014〜23年は息子2人と夫はオーストラリア居住、自身は日本で働く日豪往復生活を送る。息子たちが海外の大学に進学し、一昨年から10年ぶりの日本定住生活に。
『時には“何者でもない”旅に』
最後に一人旅をしたのはいつですか。知らない土地で、知らない人と出会う一人旅。世慣れた中年だからこそ楽しめるとも言えましょう。多少の想定外のことがあっても動揺せずに対処できますもんね。出張ついでに地方の史跡を訪ねるのもよし。
私はある時、日本のあちこちに行くのにいつも空港や駅と会場の往復だけで終わってしまうのはもったいないと気づきました。最初のうちは仕事のついでにちょい旅を、そのうち自分で0から計画を立ててあちこちの史跡を訪ねるように。そうしたらまあ、この世は未知に満ち満ちているではありませんか。地球の裏側まで行かずとも、視点を変えれば世界は変わるのですね。
旅の効用は、余所者になれること。そして理由なく存在できることです。仕事や子育てではいつも、自分がそこにいるのには理由があり立場があります。業務だから、保護者だから、なんかしなくちゃいけないタスクがあってそこにいるわけです。しかし旅人は、ただの通りすがり。やってきた動機もその土地を見たいだけで、地元の人が日常のタスクをこなしている横でフラフラしています。見えない存在として気ままに浮遊できるって、霊みたいですね。いろんな役割を背負い込んでしまったミドルエイジにとっては、透明な存在になれる貴重な機会です。
そんな旅では「人に見せたい」という欲望を捨てましょう。素敵な景色や美味しいものを前に、つい「これアップしなきゃ」などとスマホを取り出してしまいがち。でも最高の瞬間は目ん玉カメラでよーく見て、しっかり脳に刻む。で、お棺の中まで持っていくのです。頭に入れたものだけがあなたの冥土の土産です。
SNSでみんなに見せたい! 映え! とか思っている時に脳の中に映っているのはスマホを覗き込んでいる友人知人の顔やいいね! の数でしょう。せっかく眼前にある風景は網膜にぼんやり映っているだけで、脳の奥までは届きません。今この瞬間にここにいる自分が、体を使って見て聞いて感じて嗅いで味わって考えているものを我が身にしっかり刻んでこその旅。そうやって目ん玉カメラに意識を移すと、やがて気づくはず。どれほどデジタル上で存在感を示そうと、それは所詮他人の脳の中にしかない世界なのだと。
名刺に刷ってある文字も生身の価値とは関係ない。現実世界は人間なんかにお構いなしに太古から自然の営みを続け、何百世代もの人の暮らしが歴史を作ってきました。そっちじゃん、自分が生きている場所は!… と、なんだか霧が晴れたような気持ちになるはずです。これこそが今の私たちに必要なリセット!
旅先では、お店の人やタクシーの運転手さんと雑談を楽しんで。知らない人との心の垣根が低い「おばちゃん力」を発揮するのです。多少は自由になるお金があるのも若い頃とは違います。地元の電車に乗るのは旅の楽しみの一つだけど、限られた時間を有効に使いたい場合はタクシー移動もあり。私は宮崎県の高千穂を訪ねた時に、たまたま駅前で乗ったタクシーの運転手さんと半日一緒に過ごしました。柱状節理の絶景で有名な高千穂峡でボートに乗るつもりだと話したら「漕ぎますよ」と言ってくださって、会ったばかりのおじさんと手漕ぎボートに向き合って座り、軽く滝に突っ込んで虹を見たりして、とっても楽しかった。山の上の神社に続く急な石段を「1、2、3…」と一緒に数えながら登り、息も絶え絶えになったりして。いったいこの方と前世どんなご縁があったのかしらと、今も忘れがたいいい思い出になっています。
青森の三内丸山遺跡に行った時には、ガイドのおばさまのお話がとっても面白くて、タイムスリップしたみたいな気分に。縄文時代の人々は30〜40代で天寿をまっとうすることが多かっただろうとか、かなり小柄だっただろうとか、栗を植林したり大きな櫓を組んだり、1700年にもわたって同じ場所に暮らして祈りの場を受け継いでいたと聞いて、なんだか自分の周りを小柄な若い縄文人たちが一緒に歩いているような気がしました。相手が生者でもそうでなくても、人との出会いに変わりはないですものね。楽しかったなぁ。
責任の大きくなる世代だからこそ、ときには仕事からも家族からも離れて、一人の気ままな旅人になってみる。遠くが無理なら、自宅近郊のプチ旅でもよし。誰に報告するでもなし、冥土の土産マインドで、この世の素敵なものをたくさん心に刻みましょう!
文/小島慶子 撮影/河内 彩 ※情報は2025年8月号掲載時のものです。
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